ACROSS-AMERICA 2004

洗礼

 

ー翌朝目が覚めると、さらに厳しい現実があったー

 

 

 ロサンゼルスの空港に降り立つと、荷物用のターンテーブルから梱包していた自転車を取り、税関をパスしてロビーに出た。入国手続きを終えると、ぼくにはもう何の義務もなくなった。それはアメリカの大地を六十日間旅する自由を手に入れたということだった。

 ロビーのベンチに座って、あたりを見回した。外のバスターミナルからは次々と発車するバス。同じ便に乗っていた乗客も次々とはけてゆく。

 

ユダヤの眼差し
 
ー「ユダヤもアラブもない。問題は人間のさがにある」ー
 
「どこから来たんだ?」

「大学では何の勉強をしているんだ?」

 最初はあたり障りのない会話だった。その老人がぼくに話しかけてきたのはスーパーマーケットの駐車場でだった。小さなトラックから顔をのぞかせ、自転車を止めていたぼくに声をかけてきたのだ。

海辺の墓標

 

ー怒りを訴えたいのか、悲しみを訴えたいのかー

 

 

 ユダヤの老人と別れて数十分、印象的な言葉がまだ脳裏にリフレインしていた。興奮が冷める前に、次の誰かと話したいと思っていた。ユダヤの老人のように話しかけてくれればよいが、次はこちらからアプローチしなければいけない。けれどもぼくはそのきっかけを掴めないでいた

救命者の矛盾
 
ー「自由を守るという物語に流されていったのよ」ー
 

 まずい。このままではぶつかる。大きくハンドルを切ったが遅かった。ガツンという音とともに向こうずねに衝撃が走り、そのまま大通りに向かって跳ね飛ばされた。空中に放り出された瞬間、ああ、やられたと思った。

「アーユーオーケイ?」 

 運転手が叫びながら車から飛び出してくる。女性の声だった。

渇きの果てに
 
それらはあたかも暗い宇宙につつましく瞬く生命の輝きのようでさえあった
 

 灼熱の砂漠地帯ほど、戦争への問いが無意味な場所もない。けれどもそのことに気づくのは、所詮そこから無事に抜け出したあとのことでしかなかった。

 南カリフォルニアに位置するモハーヴェ砂漠。照りつける太陽を遮るものはなく、日影でも温度計は摂氏五〇度を指していた。

荒野の漂流者
 
ー「日本でまた会おう」彼の言葉だけが耳の奥でリフレインしていたー
 
 荒野はまだ続いていた。アメリカ西部、アリゾナ州とユタ州の境界にまたがるモニュメントヴァレーはネイティブ・アメリカンの聖地だ。赤茶けた大地に低木が生え、巨大な岩のオブジェがそこかしこに突き出す原野には風が強く吹いていた。
逆境の中の生命線
 
ー「闘いは嫌いだ。でも彼らをリスペクトしている」矛盾しているとぼくは思ったー
 
 ニューメキシコ州サンタ・フェの透き通った空はどこまでも高かった。絹のようにさらりとした空気が薄茶色の建物で統一された清潔な街並を軽やかに包む。荒涼とした砂漠地帯の中に豊かな緑を湛えたその街で、ぼくは実にさわやかな朝を迎えていた。
自由とは何か
 
ー「自由万歳」を置き換えてみるとわりとよくわかるー
 

 そもそもぼくがこの国に来て自由について考え始めたのは、走り始めてから一週間ほど過ぎた頃、アリゾナ州の小さな街で出会った年老いた女性との会話がきっかけだった。

 グランドキャニオンに続く最後の街、バレ。インタビューに応じてくれた彼女は既に八十歳くらいに見えたが、入れ歯の洗浄剤のCMにでも出てきそうな端正な顔立ちだった。
オクラホマの風の中で
 
ー彼女はこの場所でぼくと同じ歳で亡くなったー
 

 もみの木の葉でできた花輪に真っ赤な大きいリボン。まるでクリスマスのデコレーションのような飾りの中に、美しい女性のセピア色の写真が掛けてある。

「彼女のきれいなまつげは永遠に空のよう…」

 そんな英国人作家の詩が捧げられている。ジュリー・マリー・ウェルチ、二十三歳。
地図の上の1セントコイン
 
それは戦争の是非を問うことと同じくらい大切なことに思えた
 

  旅の中にはいくつかの見えない「曲がり角」がある。そのできごとの前と後で旅の風景が少し違ったものになる、そんな転機のことだ。マークとの出会いもそのひとつと言えるかもしれない。

 重いタイヤを引きずるように走っていた。ミズーリ州ローラ。アメリカ中東部を流れるミシシッピ川まで百マイルもない。
ある記憶との闘い
 
私は弱さを持った人間を探していた。どこかに自分と同じような人を探していたのよ
 

 ミシシッピ川を越えると、中部の広大な平原は影を潜め、緩やかな丘陵地帯がいくつも現れる。開拓者たちが切り開いた森が今も残り、その森が開けたところに大きな都市が点在している。アパラチア山脈のふもと、ケンタッキー州ルイビルに着く頃には夏も既に終わりを迎えていた。

 ぼくは何日かぶりに柔らかなベッドで眠りたいと思い、この街にあったユースホステルに泊まろうと電話で予約を入れた。
シェルター
 
ーぼくは「彼ら」から逃げない人間になりたいー
 

 アメリカ横断も終盤に入って、ぼくはひとつの希有な体験をすることができた。シェルターというものに泊まったのだ。

 ウェスト・ヴァージニア州のチャールストン。ぼくはアパラチア山脈を越えるための備品の補充をしようと、街中を走り回ってバイクショップを探していた。しかし電話帳に出ていたバイクショップは軒並み閉まっているか、電話が通じなかった。
マイノリティの居場所
 
ー“There is no way to Peace,Peace is the way.A.J.Muste“ー
 

 大都会の夜には終わりの気配がない。バーやレストランのオープンテラスから漏れる人々のさざめき。石畳にコツコツと響くハイヒールの音。こんな深夜に人波の中にいるのはどれくらいぶりだろうか。

 アメリカの政治の中枢、ワシントンD.C。コロンビア特別区。ぼくはその中心地の高級アパートが建ち並ぶ一角のカフェの前にいた。
無限のざわめきの中へ
 
その豊かさは残された救いのようでさえあった
 
 十月のはじめの東海岸は既に寒く、アパラチア山脈を越えてからというもの、辺りは深い秋の気配に包まれ、街には過ぎ去っていった夏の暑さを惜しむようなさみしさがそこかしこにあった。木々の梢を抜ける冷たい風や、行き交う人々が身にまとう厚手の上着や、街角に秋の訪れを告げるハロウィーンのかぼちゃ。それらが砂漠を走り抜けた灼熱の日々を遠い過去へと押しやり、かさかさと鳴る落ち葉の音だけが乾いた空によく響いた。

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