「あんな旅をすべきではなかった」

 

 十年ものあいだ、取り返しのつかなさが心のどこかでくすぶっていた。あの旅を挟んだ前後の数年を丸ごとどこかへ葬ってしまいたい。ときとしてそんなことさえ思ったりもした。

 

 「戦争はなぜなくならないのか」。十年前、ぼくはひとつの素朴な問いをたずさえてアメリカを西から東へと旅した。思えばそれは奇妙な旅だった。二〇〇四年の夏のことで、当時大学生だったぼくは、自転車でアメリカを横断しながらそこで暮らす人たちにこの問いをぶつけてみようとした。9・11同時多発テロ以降のアメリカで、人々に戦争の是非を問う議論を喚起する。あるいは戦争の被害者への基金を募ったりする。そんな目的で始めた旅だった。 

 

 とはいえ当時のぼくにとってはすべてが不確かだった。この着地点の見えない問いがいったい何をもたらすのか、その先に自分と世界のどんな関係がひらけてくるのか。そんなことは及びもつかなかった。思えば、それはどこにでもいるふつうの大学生が、少しばかり好奇心の羽を広げて世界を見てみよう、ということに過ぎなかったかも知れない。ぼくはそのときまだ、後に自分の両肩にのしかかることになる「重さ」を知るはずもない、無邪気さとイノセンスのさなかにあった。

 

 あれから十年が過ぎ、その十年のあいだにぼくは人が生きていることの素朴な息吹を求めて様々な場所へと赴くことになった。あるときは途上国のすえた裏街のアスファルトの上へ。あるときは原発事故で廃墟となった街の揺れる稲穂の中へ。そしてそのあいだも、あのアメリカ横断の旅の中で感じた「重さ」は、見えない羅針盤のようにいつもぼくの中の極北を示し、ひとつのことを語り続けていた。

 

「内なる危うさを通して、ぼくははじめて誰かと繋がっている」

 

 かつて葬り去りたいとさえ思っていた日々は、十年のあいだ、どこかでぼくのことを支え続けていたのかもしれない。あの旅は自分にとっていったい何だったのか。十年の時が経ったいま、自分の中の極北の意味を掴むため、ぼくは再びアメリカへ渡っていた。

 

 

   *    *    *

 

 

 アメリカ西海岸に大雨が降った翌朝、どこまでも続く原野でぬかるみに車のタイヤを取られ、前にも後ろにも動けなくなっていた。苛立ち、焦ってもいた。待つこと小一時間、やっと小さなトラックが通りかかった。運転手が車を止めてスペイン語なまりの英語で助けを申し出てくれた。

 

「合図をしたら、ギアをリアに入れてアクセルを踏むんだ」

 

 彼はフックに鋼鉄のワイヤーをひっかけると言った。トラックのエンジン音が響き、やがて運転席の足下から空転していたタイヤがゆっくりと地面に乗る感触が伝わってきた。やった、これでどうにかなる。

 

 ぬかるみを脱出して安全な場所に車を止めると、ぼくはドアを開けて彼に歩み寄った。安堵からか、自然と笑みがこぼれた。彼をハグしているあいだ、次に誰かが困っていたら助けようとさえ思った。

 

 彼と別れたあとも、再びハイウェイを走り始めると晴れやかな気持ちになっていた。広大なぶどう畑やシェブロンの石油採掘場やメキシコ系移民たちの小さな街を通り抜けるあいだも気分が良かった。次々に移り変わる車窓の景色を横目にこの国に暮らす無数の人々のことが思われた。そして同じような気持ちに出会った十年も前の不思議な旅のことが、不意に鮮やかに立ち上がってきた。

 

 深い青みを湛えた高い空。軽やかに吹き抜ける乾いた風。同じカリフォルニアの景色のなか、十年前のぼくは自転車に乗って東を目指し、小さな旅を始めた。砂漠の真ん中で水を失い、針葉樹の茂るロッキー山脈や中部のトウモロコシ畑を走り抜け、やがてみずみずしい大西洋の海原へと至った。

 

 そしてその旅の中で思いがけず豊かな表情を持った無数の人々の生のかたちを垣間見ることになった。戦場へと赴いたユダヤの老人の厳しいまなざしや、平和を希求する市民団体の静かな決意。明日の生き方を探していたホームレスの健気さと危うさ。同性愛の弁護士のやさしさとプライド。ただ、それらの人々の姿がかけがえのないいのちのきらめきとして、後々まで長く記憶に残ることになるとは思ってもいなかった。

 

 自分でも気づかない間に、人々の、あるいは自分自身の内にある不確かさと晴れやかさのあいだを大きく揺れ動いていた、若く無謀で取り返しのつかない日々。戦争を問いかけた本当の意味も、そしてその先にある人々のかけがえのない横顔の意味も未だ知らないでいた、二十三歳の夏のことだった。

 

 

 

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