オクラホマの風の中で

 

 

 

 もみの木の葉でできた花輪に真っ赤な大きいリボン。まるでクリスマスのデコレーションのような飾りの中に、美しい女性のセピア色の写真が掛けてある。

「彼女のきれいなまつげは永遠に空のよう…」

 そんな英国人作家の詩が捧げられている。ジュリー・マリー・ウェルチ、二十三歳。彼女はこの場所でぼくと同じ年で亡くなった。

 

 オクラホマ州の連邦ビル爆破事件のメモリアル。その敷地のフェンスには同じように犠牲者の死を悼む人々の供物が無数にある。

 遺影や小さな星条旗や天使の人形。カラフルなリボンやテディベアまである。道行く人の足が自然と止まる。デコレーションは遺族によって定期的に取り替えられるのだろうか、事件から十年経った今でも風雨にさらされて色褪せることなく、鮮やかさを保ったままだ。

 

 メモリアルのゲートをくぐるとそこには事件が起きた時刻、九時三分で止まったままの時計があった。敷地は事件の様子を展示したミュージアムと、外の広場に分かれている。広場の芝生には椅子のかたちをしたオブジェが死者の数だけ並んでいた。よく見るとそれらの椅子には大きなものと小さなものがあった。大人と子供だろうか。それが鏡のような池に映り、今は亡き人々の存在を静かに暗示していた。

 

 ぼくは数日前オクラホマ州に入ったときから、このメモリアルのことをどこで誰に聞いたのか、何となく知っていた。そして旅の中で何となくここに立ち寄らなければいけない気がしていた。そんな気持ちに身を委ねるように、ぼくは一日このメモリアルをそぞろ歩いていた。

 

 全米の地図を広げるとオクラホマ州はアメリカのへそのような位置にある。その州都オクラホマシティで一九九五年四月十九日、その事件は発生した。

 その日の朝九時三分、街の中心部にある連邦ビル近くで大量の爆発物を積んだトラックが爆発し、ビルの大半が崩壊、託児所に預けられていた子供十九名を含む一六八名の犠牲者を出したのだ。

 この事件は911以前のアメリカで最も被害の大きいテロ事件となった。犯人のティモシー・マクベイは、多様な意見を持つアメリカ国民のあいだでも、その八割が死刑を望んだという。そして実際二〇〇一年六月に死刑が執行された。

 マクベイはかつて陸軍で優秀な成績を修めていたというから、アメリカが教えた軍事教育を利用してアメリカ史上最大の犯罪をやったということにもなる。この国の暴力を取り巻く皮肉のようなものが見えてきてやりきれなくなる。

 

 併設されていたメモリアルミュージアムにも寄った。ミュージアムにはビルの瓦礫や犠牲者の遺品が展示されていて、その脇のブースでは警察の緊急無線の録音を聞くことができるようになっていた。ざらついた無線交信の音に乗って警察官たちの緊迫した指示や報告が飛び交う様子が生々しく伝わってきた。それらの展示の間を巡りながら、ぼくは数日前に事件の犯人について調べていたときのことを思い出した。

 

 マクベイの経歴や逮捕後の供述をインターネットで調べる中で、ぼくの目を引いたことがあった。それはマクベイの人生にあった無数の挫折の痕跡だった。高校時代に周囲からからかわれていたことや、両親が離婚したこと。異性関係が極端に不得手だったことや、軍隊での昇進に失敗したことがあったという。それらを乗り越えられなかった挫折が長い間、犯人の中に巣食っていたことは容易に想像できる。

 

 マクベイは犯行に際して、連邦政府や現代社会への反抗を匂わせている。同じように爆弾を使って全米を震撼させ、ニューヨーク・タイムズ誌に高度管理社会を批判する論文を掲載させたユナボマーという小包爆弾魔にも共感を見出している。けれどもそうした社会への反抗は純粋な文明批判というよりも、背後にある彼自身の個人的な生きにくさが投影されたものと考えた方が良いかもしれない。

 

 そして奇妙なことにぼくはそうしたマクベイの過去を知ったとき、ぼく自身の中にほんの少しだけマクベイに似た何かがあるのを感じていた。それが何かとしばらく考えていたが、やがてそれははっきりした。

 

 ぼく自身も同じように、ある種の生きにくさや社会への疑問を「なぜ戦争はなくならないのか」というひとつの問いに転化してアメリカまでやって来てしまっていたことだ。

 言ってみればぼくとマクベイの違いは、内面に鬱積した負のエネルギーが外部世界にどんな着地点を見出したか、という違いでしかないのかもしれない。

 

 もちろん爆弾で百六十八人を死に追いやることと、思い切ってアメリカに旅に出てくることの間には途方もない隔たりがある。けれどもそれが隔たりや差異としか映らない次元でしか物事を見られなければ、ぼくたちはどこかでまた同じような悲劇を許してしまう気がする。

 犯罪者の気持ちは犯罪者特有のもので一般の人間は理解する必要がないという前提が、実は彼らを追いつめ破壊行為へと向かわせるからだ。

 

 たぶん犯罪者は最初から犯罪者なのではなく、何らかのかたちで生きにくさを抱えた人間が、長い時間をかけてそこへと至るのではないか。そしてその過程の中に犯罪というかたちをとらないで済んだかもしれない、無数の分岐点があったのではないか。

 

 言い換えれば、ぼく自身もどこかで間違えばマクベイであり得たかもしれない、ということでもある。ばかばかしい話かもしれない。けれどもそれを一蹴してしまうことは、「彼ら」と「ぼくら」の間を繋いでいる糸をまた一つ断ち切ってしまうことでもある。そしてすべての糸が断ち切れた瞬間こそ、「彼ら」が凶悪な犯罪に走ってしまう瞬間ではないだろうか。

 マクベイの犯罪は到底許されるものではない。けれども誰もがマクベイになり得たかもしれないという微かな畏れを真摯に持つことが、実は第二のマクベイを生み出さないために必要なのではないか……。

 

 夕方になると昼間よりもたくさんの人が広場に集まってきた。ツアーのようなものをやっているのだろうか、池の前に数十人が座り、職員の説明を聞いていた。多くは家族連れやカップルだった。不思議なもので、彼らが何気なく語り合う姿や記念写真を撮る姿は、サンタモニカやグランドキャニオンの観光地で見るよりもずっと幸せそうに見えた。死者たちの息づかいが何気ない生のかたちを豊かに見せるのだろうか。

 

 帰り際、メモリアルの壁にスプレーの落書きがあるのを見つけた。十代の少年たちが書いたのだろう。ギャングチームの名前のようなものと共に黒いスプレーでこう書かれていた。

 

「我々は真実を探し、正義を求めている。法がそれを要求し、死者たちがそのために嘆き、神もまたそれを求めている」

 

 ぼくはそれが十年のときを経てもまだその壁に残っていることに人々の思いを読み取った気がした。どんな大人たちもそれを消すことができなかったのは、そこにただのギャング少年の落書き以上の何かがあったからかもしれない。

 

 ゲートを出ると再びフェンスのデコレーションがあった。夕闇が犠牲者たちの顔にそっと影を落としていた。暑さが和らいで、気持ちのよい風が吹いてきた。フェンスのリボンや飾り付けがざわざわと音を立てる。ふと死者たちが何かを囁いているような気がした。

 

 

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