シェルター

 

 

 

 アメリカ横断も終盤に入って、ぼくはひとつの希有な体験をすることができた。シェルターというものに泊まったのだ。

 

 ウェスト・ヴァージニア州のチャールストン。ぼくはアパラチア山脈を越えるための備品の補充をしようと、街中を走り回ってバイクショップを探していた。しかし電話帳に出ていたバイクショップは軒並み閉まっているか、電話が通じなかった。ほとんど諦めかけていたが、これで最後だと思いながら河沿いの道をマウンテンバイクで走っていた男に声をかけた。

 

 あまり期待もしていなかったが、彼は意外にも親切だった。街のことを教えてくれたし、バイクショップはもちろん、今夜の宿が決まっていないことを知ると彼が言った。

「それならシェルターを紹介しよう」

 

 シェルター。ぼくはその言葉を聞いて、サンタフェで出会ったホームレスのことを思い出した。あのときぼくは彼にいろいろと良くしてもらっておきながら、ホームレスだと知って身構えてしまった。そのために彼の住むシェルターへも結局は行くことなく、そのことが心の奥でひっかかっていた。

 

 けれども今回は違った。腫れ物に触るような感覚はない。アメリカでの生活に慣れてきたこともあったが、シェルターに誘ってくれたマウンテンバイクの彼がホームレスでなかったということも大きかった。あるいはシェルターに泊まって彼らの生活を理解することで、あの日、サンタフェで誘いを断ってしまったことの後ろめたさを少しでも拭いたいと思ったのかも知れない。

 

「ぜひ、そのシェルターに泊まりたいんです」

「案内しよう。この街にはいくつかあるから、どこか空いているよ」

 ぼくは念のためシェルターというものがどういうものなのか聞いてみた。  

「家のない人が一時的に避難する場所だよ。食べ物とベッドとシャワーがある。全部無料なんだ」

 驚いてしまった。アメリカには食べ物とベッドがタダで用意されている施設なんてものがあるのか。ぼくが知らないアメリカが見えてくるかも知れない。少しわくわくしながら、彼のうしろについて走り始めた。

 

 ぼくはアメリカに来てから、イラク戦争の他に、この国で貧しいとされる人々のことを漠然とだが考えるようになっていた。それは渡米して間もない頃、ロサンゼルスのダウンタウンの一角のスラムで彼らを見たときからだった。

 

 リトルトーキョーの中心地から三ブロックほどのところにそのスラムはあった。店は軒並みシャッターを下ろし、スプレーでグラフィティと呼ばれる無数の落書きがされたままだった。東京では見られない殺伐とした風景。

 

 ホームレスはそんな風景に違和感なくとけ込んでいた。軒下に段ボールを敷いて眠っている人。食べ物の配給をもらうために列をなす人。何をするでもなくタバコの煙をくゆらせる人。その中には、若者から老人、白人や黒人、ヒスパニック、そして女性もいた。

 

 そうした景色はどういうわけか、ぼくを惹き付けた。「スラムは危険」という意識がある一方で、なぜかその地域に足を踏み入れてしまうのだ。最初それはただの興味本位に思えたが、何度かその界隈を通るうちに、彼らがぼくの中にある言葉にならない何かを具現化しているような気がしてきた。

 

 宙を見つめるような眼差しや横顔に宿る厳しさ。彼らの表情には無言の寂寥感のようなものが漂っている。不意に目が合うと、それだけで重い何かを突きつけられたような気がした。

 

 ある種の危うさのようなものだろうか。それとも人間が生きてゆく上で本来的につきまとう不確かさのようなものだろうか。いずれにしても、それらは厳しさや悲惨さを飲み込んだうえで、純粋でウソのないものに思えた。

 

 そしてあのとき、ぼくはカメラのファインダーを通して一人の白人男性をひそかに眺めていた。その男は車いすに乗っていて、ゴミ捨て場のコンテナからゴミを漁ろうとしているところだった。横顔に刻まれた深いしわ。もう既に充分年老いていて、真夏にもかかわらず、全身を覆い隠すようにニット帽と長袖の上着を着ていた。ぼくは彼がゴミを手に取ろうと車いすから身を乗り出した瞬間、罪悪感を振り切るようにシャッターを押した。そしてそのとき、背後で低い声がした。

 

「ドント・テイク・ア・ピクチャー」

 

 ぞっとして振り返ると、背の高い黒人がぼくを睨みつけていた。見つかってしまった。ぼくはその場に立ち尽くした。そしてカメラをそっとおろし、「アイムソーリー」とだけ

言った。黒人はそのまま背を向けて去っていった。

 そのことがあって以来、脳裏にスラムというものがビビッドに焼きついた。彼らを被写体に選ぶのは、何かの禁に触れる行為だ。

 

 けれども一方で、ぼくはその光景を撮っておきたいと強く思っていた。身勝手と知りながら、ぼくは彼のイメージがいつか記憶の片隅へと追いやられ、やがて消えてしまうことをどこかで恐れていたのだろう。あるいは言葉になる以前の鮮烈なイメージを写真という形で切り取っておくことで、ぼくはぼく自身が何かを考えるきっかけを求めていたのかも知れない。いずれにせよ、西海岸で撮ったあの車いす男のゴミを漁る後ろ姿が長い間ぼくの脳裏にあり、想いをめぐらせるきっかけになっていた。

 

 マウンテンバイクの男のあとについてビル街を抜け繁華街から離れると、人通りの少ない区域の一角にその建物はあった。コンクリート作りで屋根に十字架のついた立派な建物だ。一見、街の小さな教会と見分けがつかない。

 ぼくがサンタフェの街でホームレスに出会った時に思い描いていた、身を寄せ合う不衛生な人々の集団はすぐに頭から消えた。ぼくはかなりの思い違いをしていたことに気づき始めた。

 

「もちろん、泊まっていいですよ」

 建物に入ると、ぼくは受付の男の前に紹介され、案外あっさりと受け入れられた。

 彼の説明によるとこのシェルターを運営しているのはキリスト教系の非営利団体で、

様々な困難を抱えた人々が再び社会に復帰できるように、一時的に受け入れているのだという。仕事や家がない人、病気や薬物の依存症を抱えた人。DVの被害者や帰還兵などだ。

 

 ぼくは帰還兵と聞いて、ロスの街での交通事故で知り合った女性を思い出した。彼女は帰還兵をサポートするために募金をするのだと言っていた。こうしたシェルターに献金していたのだろうか。

 けれども、なぜ帰還兵がサポートを必要とするのか。そのことを受付の男に聞いてみた。

 

 彼が説明するところによれば、帰還兵はアメリカの深刻な社会問題の一つなのだという。例えばベトナム戦争後、アメリカでは帰還した兵士の三分の一はホームレスになったという数字がある。人間を殺すための特殊訓練を受け続けた人々は除隊後、通常の職業に就くことが困難とされた。行き場を失い、戦争の傷跡だけを抱えた彼らは自然と路上での生活を余儀なくされ、ホームレスが増加していったのだという。

 

 「それだけではない。ベトナム戦争では兵士たちの恐怖を紛らわすためにヘロインが配られた。帰還後も中毒になってしまった人は仕事にも就けないでホームレスになってしまう。負傷して障害を持った人も同じ。彼らはアメリカが生んでしまった犠牲者なんだよ」

 

 シェルターにいるホームレスの四人に一人はそんな帰還兵なのだという。ぼくはその話を聞いて、シェルターを支えているのは人々の善意というよりも、むしろ贖罪の気持ちに近いのではないかと思った。二つは同じようで微妙に違うように思えた。贖罪が偽善であると非難したいのではなく、むしろ逆だった。善意が発生するのは他人の問題に対してであり、贖罪はそれが自分の問題だと認めたときにしか起こりえないはずだった。「アメリカが生んだ犠牲者」という響きに、その原因の一端は自分にもある、という強い当事者意識がある気がしたのだ。

 

 手続きをすませると、マウンテンバイクの男と別れ、ぼくは晴れてシェルターの一員になった。たった一晩だけの住人だ。管理人はぼくを快く迎えてくれたが、規則をきちんと守るようにと、厳しく言った。

 荷物はすべて預けること。私物をベッドに持ち込んではいけない。館内の放送が流れたら、一斉にシャワー室に並ぶこと。シャワーを浴びるまで、ベッドルームには入らないこと。朝食後は牧師の説教をきちんと聞くこと。などなど、多くの決まり事があった。一日のスケジュールのほとんどはその規則通りに運んでいく。シェルター内にはもちろん男性しかいなく、女性用のシェルターは少し離れた別の建物として用意されていた。そこにはDVを逃れてやって来た女性もいるらしく、暴力から身を守るためシェルターの住所を他言しないで欲しいとのことだった。

 

 たった一日だけこのシェルターにやってきたぼくは周囲から奇異な目で見られた。まして黄色い肌をした日本人は珍しいに違いない。周りの男たちは風変わりな新入りを見てにやにや笑ったり、ひそひそ話しをしたりしている。

 ぼくは少しナーバスになったが、しかしそれはすぐに払拭された。一人の男がぼくに話しかけてきたのだ。

 

「中庭で一緒に煙草を吸わないか」

 ぼくは少しほっとして「たった一晩だけど、よろしく」と言った。

「外はきれいな女がたくさんいていいだろう」

 男は卑猥な笑みを浮かべて言う。けれどもそれは不快な猥談というよりも、初対面のぼくと距離を縮めようとしているのだとわかった。

 

 小さな中庭の喫煙所にたくさんの男たちがたむろしている。中には足が悪く引きずるように歩く男や、中庭の隅で神経質そうな顔つきでうずくまっている男がいた。

 タバコを一緒に吸っていた男が、彼らを一人ひとり指さしながら言った。あいつは足が悪い、あいつはアル中だった。あいつは戦争に行った。  

 そんなことをパチリとウィンクしながらこともなげに言ってのけ、実はオレもベトナム帰りなのだと笑ってみせた。

 

 そのうちに何人かの男たちが集まってきて、冗談まじりに口々に言った。

「おっ、マルボロ持ってるね」

「新品だな」

「一本くれよ」

「おまえはシケモクでも吸ってりゃいいんだ」

 ものの三十分もすると、そんな人の輪の中に居心地のよさを感じ、彼らに歓迎されているのだと思えた。

 

 ただ、彼らとの会話は少し特別なものだった。誰一人名乗らないし、ぼくの名前も聞かない。お前はどこから来たのかという話にもならない。それはどこか今までの出会いとは違って見えた。

 話すことといえば、食事の話やタバコの話、着ている服を早く取り替えたいというような、当たり障りのない話が多かった。彼ら同士が話す会話を含め、話の中にお互いの素性が見えてこないのだ。

 

 ぼくは歓迎されているのか無関心なのかわからない、微妙な会話の輪の中にいる気がした。しかし、そのうちにそれがとても繊細な距離の保ち方なのだとわかってきた。

 

 きっとホームレスである彼らにとって、素性を語るということはわりと重い話題なのだ。他人の身の上を聞くことは、同時に自分に起こったできごとについて向き合うことでもある。誰もがそう知っているのかも知れない。あるいは、無関心を装うことでお互いをかばい合うことができるということを彼らはよく知っているのかもしれない。

 それは彼らならではの、合理的な振る舞いのようにも思えたし、ある種の絆や連帯感のようにも映った。いずれにせよ、ぼくも彼らがなぜシェルターに来たのか聞かなかった。それがルールもしくは礼儀のどちらかにあたる気がしたのだ。

 

 館内に放送が流れ号令が下ると、それまで煙草を吸ったり雑談をしていた男たちは、一斉にシャワールームへと急いだ。男たちは一斉に裸になり、スタッフから番号札を渡され、小さなタオルで前を隠してシャワーの列に並ぶ。お湯と小さな石けんだけの簡素なシャワーだった。次から次へと、居並ぶ男たちは体を洗い、配られた清潔な寝間着に着替える。まるで軍隊か刑務所だな、とぼくは思った。

 

 ベッドルームもそうだった。大部屋に鉄パイプの二段ベッドがぎゅうぎゅう詰めにされていて、男たちはお互いの顔を見合わせながら眠る。私物はおろか、プライバシーもほとんどない。それでも純白のシーツにくるまって、一日の疲れを癒すことができるのは、住む場所のない者にとって、むしろ大きな喜びであるに違いない。

 

 そして彼らだけでなく、純白のシーツはまさにぼくにとってもシェルターだった。長いテント生活が続き、夜もなかなか熟睡できなかったぼくは、彼らと同じようにベッドの暖かさに感謝していた。

 結局、あの日サンタフェでぼくと若いホームレスを隔てていたのは、自分自身の無知や奢りでしかなかったのかも知れないなとぼくは思った。

 

 消灯の時間になり、誰もが例外なく決められたベッドに押し込められた。番号の割り振られた簡素なベッド。すぐにいびきを立てて眠る者や、することもなく無意味に寝返りを打っている者。壁掛け時計がコチコチと音を立て、ときおり通りを走る車のエンジン音や、階下のスタッフたちの話し声が聞こえた。

 

 暗闇の中、廊下の天井から漏れる光を見つめていると、ぼくは奇妙な胸騒ぎを覚えた。流れ流れて全米から集まってきたホームレス達と、思いがけずこうして身を寄せ合っていること、彼らの寝息に耳をそばだてていることが不思議に思えた。洗いたてのシーツの香りが鼻孔をくすぐり、遠い昔の出来事が真っ暗な天井を脈絡もなく駆け巡っていった。

 そうした不安と懐かしさが混じったような感覚は、なぜか見知らぬ人々の人生を立体的に見せた。

 

 彼らがこの国のどこかで生まれてからちっぽけなシェルターに流れてくるまでには、恋愛や結婚や家族と過ごした何気ない幸せな瞬間も無数にあったはずだ。

 そして彼らを不意打ちにし、ホームレスへと追いやったできごとも思われた。戦争や事故で傷ついた人や、家族と別れた人や突然に仕事を失った人もいるかも知れない。

 

 資本主義や自由主義や、あるいは幸せを求める人々の営み。それらがどこかへ向かおうとするとき、その推進力にはじかれるように彼らはひとりまた一人とホームレスになっていった。

 

 寝息を立てながら、彼らはどんな未来を夢想しているのだろうか。不確かで無防備な明日だろうか。それとも何らかの希望や救いが見えているのだろうか。そんなことを思ううちに、暗がりに眠る彼らの横顔がなぜか美しく見えていた。

 

 翌朝、ぼくは館内の放送で目が覚めた。

「全員起床!シーツをたたみ、身支度をして一階の廊下に整列するように」

 廊下に整列?ぼくはいったい何事かと思いながら、あわてて着替えを済ませて歯を磨いた。男達も飛び起きてバタバタと身支度をしている。何が起きたのだろうか。ぼくは少し心配になって階下へと急いだ。廊下では四十人ほどの男達が、壁を背にして一列に並んでいた。みな神妙な顔つきをしている。

 やはり昨夜なにかあったのだ、とぼくは思った。

 シェルターの所長が現れてみなの前に立ち、少し威圧的な調子で言った。

 

「ベッドナンバー一六番のあなた。シーツが汚い、きちんとたたんできなさい」

 シーツ?

「三一番のあなたもです。きちんと直して降りてきなさい」

 

 特に何が起こったわけでもなさそうだった。これが彼らの日常なのだ。大の男達が林間学校の朝礼のように並ばされて、所長に怒られる。しかもシーツのたたみ方ひとつで、だ。それが滑稽で、ぼくは思わずニヤリとしてしまいそうになった。が、次に呼ばれるのは自分かも知れない。そう思って襟を正し、背筋を伸ばした。それにきっとこれも集団生活や規律を学ぶための大切なことに違いない。

 

 結局、ぼくの名前は呼ばれず、ほっとした。シーツを直しに戻った男達が降りてくると、所長がお祈りを始めた。

「神様は昨晩私たちが眠っている間も安らかであるようにと見守っていてくださいました。また、神様のおかげで今日も食事をすることができます。深く感謝致します」

「アーメン」

 

 男達の列が食堂の方へとぞろぞろ動き始める。食堂に入るとコックが居並ぶ男達に一人一人食事を渡していく。できたてのシチューに小さなドーナツがいくつかとコーヒー。立派な朝食だ。しかもタダだ。シェルター・ホッピングといって、いくつかのシェルターを渡り歩く人々が問題になっているらしいが、彼らの気持ちもわかる気がした。

 

 食事が終わると、大きな講堂のような部屋が教会に早変わりし、男達はみなそこで牧師の説教を受ける。分厚い聖書が一人一人に渡されて、牧師がその中の一節を読み上げる。この日は「コリント人への第二の手紙」という章だった。

 ぼくも見よう見まねでページを繰る。けれども昔の英語なのか、見慣れない単語がたくさんあってわからなかった。

 

 周りを見るとまじめに聞いている者もあれば、落ち着きなく体をゆすったり、あくびをしている者もいる。ホームレスという状況にある人々に聖書の言葉がどう響いていくのだろうか。そもそもキリスト教徒ですらないぼくにはなかなか想像できなかった。小一時間ほどの説教が終わり、皆で賛美歌を歌う。

 最後に所長がその日、面会者のある者の名前を呼んでいった。シェルターの外にいる知り合いや友人が会いに来るのだろう。そして何人かの名前が呼ばれたとき、所長が含み笑いをしながら言った。

 

「あなたには女性の面会者です」

 

 するとその場が急にいろめきたって周囲がその男を囃し立てる。男がよせよという風に少しはにかむ。その様子はいかにも年月の長い男所帯だという風に映った。

 女性が会いにくる。それは見えない明日を探しながらこのシェルターに集う彼らにとって、ささやかなぬくもりと外界への広がりをもたらすに違いない。そんなことを思うと、なぜかこちらまで浮き立つような気持ちになったりもした。

 

 お昼近くになると男達は自由な時間を手に入れる。外出が許可されるのだ。彼らは解放されたように街へと繰り出し、仕事や住む場所を探したりする。シェルターの紹介で既に仕事のある者もいる。

 

 ぼくも荷物をまとめ、街へと散らばっていくホームレス達にまぎれて、シェルターを出た。

 狭い路地を抜けて、繁華街へと続く曲がり角の向こうへ、一人また一人と消えていくホームレスたち。様々な葛藤を抱えながら復帰の時を伺っている彼らの後ろ姿を眺めていると、サンタフェで出会ったホームレスのことが思い出された。彼もこんなシェルターに泊まりながら、明日の生き方を探していたのだろうか。今は苦境を乗り越えて立派に社会復帰をしたのだろうか。それとも相も変わらずサンタフェの抜けるような空の下で「今日も仕事がねえ」と愚痴をこぼしているのだろうか。彼はなぜホームレスをしていたのだろうか。

 

 ぼくはまた、アメリカに来て最初の夜に出会った人形男のことも思い出した。ハイウェイの脇の草むらで人形と一緒に眠る長髪の青年。ぼくはあの晩「寂しい」と叫んでいた彼を振り切るように逃げ出してしまった。

 

 思い返すと、彼もたぶんホームレスだったのだろう。ロスの街にあまりにホームレスが多いために、そこにあるシェルターからあぶれてしまったのだろうか。あるいは若くて五体満足の彼は、もっと困難な状況のホームレスのためにそれを譲ったのだろうか。それはあり得ないことではなかった。

 

 いずれにせよ、彼もサンタフェのホームレスと同じく、頼れる陽気な男だった。そして本当に夜が淋しければ人形と眠ることだって、おかしなこととは言い切れない。

 

 たぶん、生きていくことは、思っているほど簡単ではないのだ。彼らのように陽気で頼れる青年たちでさえ、ときに仕事や寝場所を手に入れることができない。それがこの国の、あるいはこの世界の現実なのだろう。

 

 ぼくは今まで一人の学生として、あまりに気楽に生きてきたのかも知れない。イラク戦争に疑問があると言って、この国にやってきた。募金を集めて弱者擁護のようなことをしようとしている自分。そのくせ、本当に困難にある人間を前にして、逃げ出してしまう自分とは何なのだろう。そんな自分のずるさのことを彼らはどう思っただろうか。

 

 ぼくは彼らから逃げない人間になりたい。頭の中の「弱者」を擁護する人間ではなく、目の前の弱者から逃げない人間になりたい。そのことを強烈に思った。

 あり得ないことかも知れないが、もう一度彼らに会うことがあったら、いろんな話を聞いてみたいと思った。困難な状況にあって前向きになったり、他人のために何かができるのはなぜなのか。

 

 ぼくは自らの奢りのせいで聞かずに通り過ぎてしまったいくつかのことを聞いてみたい。そんなことを漠然と考えながらシェルターをあとにした。九月の終わり、アパラチアの山々が既に色づき始めていた。

 

 

 

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