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希望からはみ出た命のかたち

 「3月11日、日本が息を飲み言葉を失ったあの日、母なる宇宙から君が生まれた。新しい生を受けた君に、この椅子を贈ろう。」「君の椅子プロジェクト」の磯田憲一さんは、若い両親に抱かれた小さな赤ちゃんを前に手紙を朗読した。

 番組は震災前から北海道東川町で行われていた、生まれた子どもに椅子を贈る「君の椅子プロジェクト」が、震災の日に被災三県で生まれた子どもたちに椅子を贈り始めるところから始まる。放射線被害を受けた宮城県白石市の牧場一家に生まれた子どもや、福島市で車の中で生まれた子どもなどだ。

 被災した地域に外部の人が訪れ、贈り物をするという話は、震災に関するよくある美談を想像させて、少しばかり気が滅入った。

 というのも、この2年間、震災関連の番組はどこもかしこも希望という言葉で溢れてきた。肝心の被災した方々の心のうちに希望などなくともメディアがそういう言葉を流し続け、視聴者もそれを消費してきた。結果的に世間にばらまかれた過剰な希望についていけない被災者が増え、ますます生きづらさを感じることになったのだ。私はそうしたメディアが作り上げた「希望観」の負の側面に身構えたのだ。

 ただ、この番組に描かれているのは、被災した人々が再び立ち上がる定型としての希望ではなく、震災によって祝福がためらわれることになった、本来あるべき希望についての物語である。その意味で番組中に散りばめられた希望は前向きに捉えられるべきかもしれない。

 そしてそんな抽象論を考えるよりも、私はひとつのエピソードに惹かれた。椅子が贈られた宮古市内の母親、下澤悦子さんの物語である。

 ある日、宮古市内のバス停で、33年前に自分を捨てた母親に突然声をかけられる。またの再会を願うが、その3か月後、母親は震災の日に大津波で流されてしまう。小学生の頃、運動会をこっそりと見に来ていたという母親。33年の年月、街のどこかでずっと娘を見守ってきたに違いないと想像させる。バス停で再会した時、悦子さんは妊娠中だった。きっと母親は、お腹の大きくなった娘を見て声をかけずにはいられなかったのではないか。

 椅子を贈るというシンプルな行為から見えてきた一人の女性の物語を、取材スタッフたちは追いかけた。

 自分を捨てた母親への気持ちは、愛情よりも憎しみという言葉で悦子さんの口からは語られる。番組の最後で気持ちの整理をつけるのだが、ここには「家族愛→震災→喪失→希望」という決まりきった図式に収まらない別の物語がある。そうした定式からはみ出た物語に行き当たってしまったとき、番組はその対象を「ボツ」にするということも少なくない。だが、この番組のスタッフたちは「はみ出た物語」の取材を続けた。

 結果的に椅子を贈りたいという磯田さんの思いから始まった物語は、、椅子を贈った相手の人生を知りたい(あるいは撮りたい)という作り手の意図につながっていく。最初の狙いとは少々違ったかたちの番組に着地したのかもしれない。

 それでいいと思う。現実は作り手が最初に意図していたものを越えて、遥かに複雑で豊穣な顔を見せることがあるし、作り手も作る過程でそこに食らいついていかなければならないからだ。


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