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復興の裏に隠れた破壊のかたち

 「復興イコール破壊なんです。」私が震災取材中に聞いた印象的な言葉だが、どのような角度からであれ、震災の深部にメスを入れると必ずこの言葉に行き当たるように思う。

 震災遺構を残すかどうかをめぐって各地で揺れる住民の心を捉えたNHKスペシャル東日本大震災「震災遺構〜悲劇の教訓をどう伝えるか〜」の視聴後も同じ感想を持った。

 番組は1300人あまりが犠牲になった気仙沼市の第18共徳丸のエピソードで始まる。将来世代が震災を想像するための遺構は共徳丸しかないとする菅原市長や、共徳丸の周囲で語り部をしてきた塩田さんらは「保存派」として描かれる。一方船主は反対意見が強まる中、保存に難色を示す。船を見る度に胸を痛めている、保存の費用を被災者の生活支援や復興に、という声が多数あがったためだ。今を生きるための解体か、将来のための保存かという焦点の違いが浮き彫りになる。

 ただ、悔やまれるのは塩田さんのインタビューの中で語られた「見に来るなという人もいる」という重要な証言がほとんど素通りされてしまったことだ。被災地には、悲劇の痕跡を写真に撮られたりすることで心を痛めたり、怒りを感じる人が少なくない。にもかかわらずその声があまり表に出ないのは、被災地の外とある程度うまくやっていかなければ復興はあり得ない、ということを彼らがよく知っているからだ。

 この点を掘り下げていくと、外部の人間(イコール視聴者自身)の視線が彼らを傷つけているかも知れない事実が浮かび上がってくるだろう。そのようにして視聴者に大きく跳ね返ってくる場面が欲しかった。

 続く釜石市の例では「今か将来か」という単純な図式では語れない住民たちの複雑な思いが描かれる。釜石市が、多くの犠牲が出た鵜住居地区防災センターの解体を発表すると、4日後、供養台に貼り紙が貼られた。「ここで娘とまだお腹の中にいる孫を亡くしました。取り壊さずに永遠に残して欲しい」。手紙の主、寺澤夫妻は出産を控えた娘を防災センターで亡くし、月命日の度に足を運んできた。廃屋の二階を訪れ、小鳥のさえずりに「理香だよな、わかってる」とむせぶ母親の姿は、「将来のための遺構」ではなく、「今を生きるための遺構」の意味を教えている。

 一方で長女の菜津子さんがいまも行方不明の疋田夫妻は手がかりを求めて防災センターを頻繁に訪れてきたが、「あそこがなくなれば、通る度に思い出すこともなくなる。なくなってもいい。」と父親が語る。家族を失ったという立場は同じだが、被災の痛みは引き裂かれるかたちで反対方向を向いているようにも見える。

 番組の後半、舞台は広島へとダイナミックに移る。宮古市田老地区で唯一残ったホテルの保存を目指す松本勇毅さんは、仲間とともに広島のを訪れる。弟を原爆で亡くした畠山裕子さんは当初、原爆ドームを見るのも嫌だったが、30年かけて保存の意味に気づいていった。遺構をめぐる揺らぎは立場の異なる人同士のあいだだけでなく、一人の人の中にもあることを番組は示す。

 ただ原爆ドームの保存活動を続けてきた原廣司さんの「将来に向けた財産になる」という言葉で見えなくなるものもある。保存にせよ解体にせよ、痛みが伴う事実に私はまた思い出すのだ。「復興イコール破壊なんです。」


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