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気仙沼、防潮堤をめぐる激論

 気仙沼の防潮堤をめぐる議論は以前から気になっていた。私が取材フィールドとする仙台平野で着々と防潮堤の建設が進むなか、気仙沼の防潮堤建設は地元住民の賛否を超えた問題を提起し続けていたからだ。

 国の方針では被災三県で総延長400キロ、1兆円規模の防潮堤を計画している。気仙沼のその後を知りたくて番組を視聴した。

 番組は気仙沼在住の2人の人物に焦点を当て、防潮堤への疑問を呈していく。地元の景観が壊されることを懸念する大谷地区の三浦友幸さんと、海辺の生態系の破壊を怖れる小泉地区の阿部正人さんだ。

 幅40メートルの防潮堤に砂浜が潰されるのは、「小さい頃から愛着ある場所を奪われ地元愛を断たれる気がする」という言葉を聞き、私は再び「復興イコール破壊」という言葉を思い出す。

 番組は県による説明会でのたくさんの意見も記録している。「もっと避難経路を増やしてほしい」「人は逃げなくてはならない」「国道をかさ上げすればいい」といった意見は、防潮堤以外に街や人を守る様々な選択肢があることを示す。

 「住む家もないという状況で防潮堤のことまで考えられなかった」という意見も貴重だ。私が取材する名取市でもまったく同様の理由から、住民と行政が対立を深め、長らく復興計画がまとまらなかった。「街の復興に心の復興がついていけない」という状況は後々まで禍根を残す。

 番組が見落としている点もある。岩手県宮古市では震災当日、防潮堤の高さを乗り越えて、いまにも津波が押し寄せそうな状況下、防潮堤の真下を車が走行を続けていたことが報告されている。

 それらの車両の多くが被災し、津波に飲まれることになった。人々を津波から守るはずの防潮堤が、逆に津波の迫りくるのを気付かせず、人々を危険に追いやったことになる。防潮堤の本当の問題は、それが人と海を隔て、人間から自然への畏怖を奪うことにあるのではないか。

 以前、このような指摘をする気仙沼の住民が、番組やレポートの中に存在していた。ところが今回の番組では、こうした視点を見ることは出来なかった。

 中心となる人物を設定し、その人々の活動を定期的に追うスタイルはあってもいい。津波にさらわれた人々を捜す家族の心の葛藤・変化がテーマであれば、その取材方法でよいかもしれない。

 しかし「防潮堤の是非」という政治的イシューを取り扱うとき、定点観測の事後報告をしても、あまり意味がないと私は思う。争点を事前に抽出し、物事が決まる前に議論を喚起し、復興のプロセスを担うのがメディアの役割ではないだろうか。すでに宮城県全体で7割の地域が「防潮堤」への住民合意を得ているこの時期に番組を放送する意味を再度問いかけたい。

 三浦さんは奥尻島の防潮堤を見学した際、「防潮堤のおかげで自然がなくなってしまった」という声を拾うが、これは防潮堤に疑問を持っている番組制作者の気持ちの焼き直しに過ぎない。防潮堤には根強い反対があるからこそ、「一日もはやく復興してほしい」「堤防でも道路でも橋でも、なんでもいいから作ってほしいというのが8割9割」という賛成派の焦りにも目を向け、奥行きのある番組を作ってほしかった。


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