メディアが変える被災地の空気

 「軽さ」の意味が変わってきている。それが「ともに」視聴後の率直な感想だった。本連載の昨年6月号でも取り上げた仙台放送の「ともに」は、毎月県内各地の被災地の表情を短時間(30分)で活写する一貫したスタイルで制作を行ってきた。ただ、7か月前と比べ、その番組の存在意義がだいぶ変わってきたようだ。

 オムニバス形式の番組内では、被災地のいまが次々とテンポよく語られ、七ヶ浜町の住民主導の避難訓練の重要性や、在宅避難者たちへの支援が行き届かなかった問題が浮かび上がる。こうした報道は重要ではあるが、今までにも多く繰り返されてきた正統派ともいえる報道姿勢といえるだろう。

 一方で変化球もあった。亘理町荒浜地区の復興商店街のくだりだ。「荒浜港ではハゼ釣りを楽しむ人々が見られました」という何気ないナレーションが流れ、一見なんでもないように素通りしてしまうが、実は大きな意味を持っている。

 場所にもよるが、被災地の岸壁で釣りをする、というのは1、2年前ではタブー視されていた。特に地元で大きな被害に遭った人にとっては釣りやサーフィンなどの娯楽は気分のいいものではなかった。そうした事情もあってか、これまで報道の側もそうした娯楽が復活する場面を自粛してきた感がある。昨年夏の福島県いわき市の海開きのニュースの際も、海水浴場の近くに更地や瓦礫が残る風景があることを同時に伝え、被災地の現実の「両サイド」を報じていた。

 しかし、「ともに」は軽快な音楽に乗せて釣りを楽しむ人々の話題に触れる。これはある意味で被災地において釣りが再び市民権を得た光景であり、メディアが被災地の空気感を変えていく瞬間でもある。

 続いて復興商店街に出店する郷土料理のはらこめしが紹介される。「鮭もイクラもいっぱい乗っていたのでよかった」という来場者の感想や、「生臭くならないようにお酒やショウガを入れる」といった秘伝のレシピも披露される。そしてやっと「震災前から地元の人に愛されてきた」というナレーションが入る。震災はグルメ番組の一要素に過ぎないように挿入される。

 同じ日に見た別の県内のニュース番組では天気予報のコーナーで石巻市の日和山の頂上からの映像が流れた。同じく軽快な音楽とともに「さわやかな海が広がっていますね〜」というコメントが入った。手前の更地は小学校が焼けてしまった門脇地区であり、そこで被災した幼稚園バスの一件は判決が出たばかりだが、それらへのコメントはない。

 こうした報道内容は、1年前であれば軽薄に映ったかもしれないが、いまではなぜか軽やかに映る。番組の報道姿勢に、被災地の空気感が追いついてきたのだろうか。あるいは番組が被災地の空気の変化を敏感に反映しているのだろうか。いずれにしても、今の被災地とメディアの関係をよく表している。メディアはある意味で震災の凄まじさを語り尽くし、視聴者もそれを消費し尽くし、飽和状態になってしまった。結果、残されたのは当たり前になった震災風景であり、受け手も送り手もその当たり前を了解し合ったうえで、新たな震災観を求めている。震災がニュースであった頃から時が移り、作り手と視聴者の新たな関係が見えてきているのかもしれない。

[矢田3]被災地観→震災観


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