現地の実情に合わせた細やかな放送

 震災時に地域放送はどのように機能したのだろうか。仙南地域の数少ない事例である「エフエムいわぬま」で当時パーソナリティを勤めた竹内ゆみさんにお話を伺った。

 「エフエムいわぬま」は震災前の仙南地域では唯一のコミュニティFMだったこともあり、震災直後近隣市町村の住民からも安否の情報が集まってきた。それらを担当者が紙に書いてDJ室に持って行き、すべて読み上げ続けたという。反省点はそれまでも地震や台風に関する放送はあったが、津波のときの想定まではしていなかったことだ。

 市民への情報の共有は市長が自ら

割り込みの放送を入れ、市役所の6階の緊急放送室から、毎日の緊急対策室での報告事項、日ごとの捜索状況などを1日3回伝え、1時間ごとに放送、その間に安否の情報を流す二段構成がしばらく続いた。

 春のお彼岸の頃は花の配布情報や炊き出しの模様を、震災から半月後くらいからはお店の再開など明るい話題も取り入れた。おばあさんが自宅から1時間かけてお礼を言いにきたこともあった。「ラジオってそういうところで役に立てるのだと思った」と竹内さんは言う。

 一方で津波被害がなかった内陸の人々に対してどんな放送をすればいいのかという問題もあった。

 「ラジオを通して生活を一歩進めてほしい」という考えのもと、給水、電気、ガスなどの復旧情報も随時入れていった。給水場所のアナウンスだけではなく、ひとつの給水所が混雑しないよう空いている場所の情報を流し、細やかな交通整理をした。

 3年のときを経て、震災関連の番組編成も増えてきた。いままで臨時として扱っていたものを番組のかたちに落とし込んだからだ。復興に向けたイベントの紹介、近隣市町村と繋いだ番組、復興に向けて頑張る人々の紹介、仮設住宅の状況の報告などさまざまな切り口から震災のその後を切り取っている。

 震災の話題は岩沼市内だけのものに留まらない。岩沼は福島からの避難者が県内で一番多く、故郷に戻りたいが子どもの健康が心配で戻れない人も多いという。仙南唯一の放送局の役割を考え、南相馬に残る地域情報紙の編集者に電話を繋ぐ番組を作った。地元の話題が放送されるとホッとするという、南相馬出身のリスナーの声もあるという。街の様子を番組に反映できるのも小回りの利く地域放送ならではの良さだ。

 放送は他地域にも広がりを見せ、大阪府枚方市のコミュニティエフエムと同時中継を行っている。もともとは枚方市民が震災後「何もできない。せめて声だけでも」とメッセージを送ったことが縁で交流が続き、相互中継に至った。枚方では「もう、復興しているんじゃないの?」と現状がわからない人が多い。震災を風化させないための地域同士の交流だ。

 心残りもあるという。震災直後に中継を出さなかった。地域との繋がりがあればこそ、他人事のように避難所に入っていくのはどうか、という判断からだった。「正直なところ私は直後の現場を見ていない。放送局としては本当はやっておくべきだったのではないかと思います」。地元の局だからこそ向き合うことで見えてきたこと、そして地元のためにできたこともあったに違いない。


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