脱力の向こうに見える被災地の日常
いつもと変わらずほのぼのとした安堵感がある。仙台放送が毎月放送している「ともに」を視聴して今回も同じ印象を持った。
番組は冒頭、南三陸町で震災前から作られている受験生の合格祈願の文鎮「オクトパスくん」の制作風景で始まり、いつもと同じオムニバス形式で進む。塩釜の復興商店街を紹介するくだりでは、店主にカメラを向け「次の日、なんぼか水が引いてから戻ったら何もなくなってた。すっかり流されてね。残ったのはこののれん二枚だけね。」という声や「店舗前の地面が割れて水がばーっと吹き出してきたんですね。あそこは埋め立て地だったので店が沈むと思ったんです」といった声を拾う。新規性はない。誤解を怖れずに言えば沿岸部の街によくあるエピソードだ。そして話す方にも重要なことを伝えようという力みがない。何度も話したけれども、聞かれたからまた話している、という感じさえある。
2008年の岩手宮城内陸地震で家を失い、嫁ぎ先の東松島市で再び被災した女性のイチゴ作りのくだりは、この番組らしからぬややドラマチックな展開にはなっているものの、彼女が夫の家族とともにイチゴを収穫する際の自然な笑顔以上のものを誇張しようという意図はない。
山元町でこんにゃく芋を製造する会社のエピソードに至って、この番組らしさが発揮される。なぜならそれが津波の浸水地域から遠く離れた山手の会社のエピソードであるからだ。宮城県で震災と言えばほとんどの人が沿岸部の津波被害を想像する。実際に津波の浸水地域とそれ以外の場所で人々の意識の隔たりは大きい。
それは被災の同心円のようなものが県内外を覆っているからだ。同じ津波の浸水域でも遭った被害の差がある。家が半壊で済んだ人、全壊した人、家族を亡くした人、今も行方不明の家族を捜している人。人々は無意識に悲しみ比べをし、自らを同心円のどこかに位置づける。自分より中心にいる人の痛みに配慮し、外側の人は震災体験を語りづらく、光が当てられることも少ない。実際に震災関連の番組は、そのほとんどが「同心円の中心でこんなすごいことが起きている」という内容のものだ。
この番組はそれを知ったうえで、敢えて外側に位置する人を取り上げているかに見える。そこにあるのは災害で家族を亡くして立ち直れなくなっている人の声を拾うのとは別の意味での「弱者へのいたわり」だ。それはこれまでマスメディアが増幅してきた過剰なドラマをもう一度見直そうという真摯な反省にも通じている。
それにしても震災というものをこれだけほのぼのと語られてしまうと、多少の突っ込みを入れたくはなる。「長引く仮設住宅暮らしの問題提起は?復興計画と住民の温度差は?震災遺構の是非は?被災地内外に横たわる底知れない温度差の問題は?」けれどもすんでのところで口をつぐんでしまう。それは多くの人々がヒステリックになることに疲れているからだ。震災というものがいまなお生活の真ん中にありながら、それでも穏やかに日々を送りたい。被災した多くの人たちのそんなふつうの思いを映像に投影すると、きっとこんな番組が出来上がるのだ。震災から三年が過ぎてもずっと人々の「ふつう」を記録し続けてほしい。その積み重ねのうえに、本当の人々の変化が見えてくるはずだから。