迷いながら寄り添う、寄り添いながら迷う

仙台放送は震災直後の4月から「ともに』を毎月制作し、被災地の人々にスポットを当て、復興の様子を切り取り続けてきた。被災地の放送局としてどんな放送を心がけてきたのか。制作者の折原裕氏(プロデューサー)、西村和史氏(ディレクター)にお話を聞いた。

 復興への道のりが長くなりそうだとわかりはじめた頃、「寄り添って見つめていく」というコンセプトができた。ディレクター陣は、他のメディアが行かないような小さな漁村から、内陸の被災地にも足を運んできた。そこには、沿岸部だけでなく宮城県民みんな被災しているのだという意識がある。

 家屋や人命という目に見える被害ばかりを追い続けていると、思わぬかたちの被災を見落としてしまうことになりかねない。そうした意識が、内陸で「販路」という目に見えない財産を失ったこんにゃく屋の再起を描いた番組に繋がった。販路が減ったのは、震災前の取引先が海沿いに集中していたことや、福島第一原発に近い場所での風評被害などが原因だった。

 こうして再起に向けた人々を取り上げ、地元の活性化に貢献することも、番組作りの趣旨のひとつだ。

 だが、光を当てることが、現地に弊害をもたらす可能性もある。震災1年目の頃、ある地域では高台移転について住民同士のコンセンサスが取れていない状況下で「(移転に関する意見を)なんでみんなの前で言わないで、テレビで言うのか」という声が現地からあがった。そうした声が住民同士の疑念や不満に繋がり、進もうとしている復興が進まなくなることは十分にあり得るという。「我々は復興の邪魔をしてはいけないと思う。取材対象の今後のことや地域の人にどういう影響を与えるかを考えます」(折原)。とはいえ、何が復興を後押しし、何が復興の妨げになるかは常に手探りでしかない。「見えた、と思ってもまだ迷います」(西村)。だからこそ現地に何度も足を運び、取材対象に真摯に向き合い、彼らと良好な関係を築くことを目指してきた。

 こうした寄り添いの姿勢が、今年の3月11日を描く新たな視点をもたらした。「3月11日は365日の中の1日でしかない」というのだ。ずっと現地に足を運んでいたからこそ気づいたことだった。「3月11日が特別な日、というのは実はマスコミが作り上げていることに過ぎないかもわからない。番組も3年目の節目だからといって特別には作っていません」(西村)。

 寄り添いの姿勢は、津波の映像は絶対に流さないという鉄則にも通じている。「多くの人が改めて見たいとは思わない。3月11日が近づけば津波の映像は出てくる。ただ宮城県内の人であれば、映像がなくても十分伝えられる」(西村)。被災地の放送局ならではの判断に違いない。

 寄り添う取材の背後には人々へのリスペクトがある。「人間ってこんなにすごいんだなと。重度の被災をして、本来なら途方に暮れるはずなのに、その中で力強く立ち上がったり。取材時に見せてくれる笑顔も礼儀なのかもしれないけれど、強くなければできない」(西村)。

 筆者が「強さですか」と念を押すと、「実際は強くなれない人もいる。『すごい』ということかな」と言葉を繋いだ。手探りの中で震災に向き合う真摯な横顔が見えた気がした。


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