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3.11は365日のうちの1日でしかない。

「今年はメディアが3月11日をどう伝えるか。」震災から二年が近づき報道のボリュームが一時的に増える中、意外にも目を引いたのは仙台放送が毎月つくり続けてきたオムニバス形式の番組『ともに』の中のひとこまだった。

 番組は仙台市内の被災した女性セラピストたちの活動や、気仙沼で震災翌日から始まった赤ちゃんにミルクを届ける活動などとともに、南三陸町歌津の3月11日の様子を何人のインタビューを通して追いかける。

 毎回思うことだがオムニバスの限られた枠の中ではなかなか細部が見えてこない。「漁師の人たちも投げやりな人たちが多くなってきている。どうせやってくれないんだから」という短い声を拾うが、肝心の問題の輪郭が明らかにならないままさらりと過ぎていく。地域固有の問題を鋭く切るNHKのドキュメンタリーと比べるとそのゆるさが歯痒くもある。

 ただ、テンポの速さの中では余計な尾ひれもつかない。カキは順調に育っているが、処理施設再建の目処が立たず、漁港の復旧も進まないという漁師の千葉さんは辛抱の時期だとしながら言う。再建された処理場でカキをむいて「これを(支援してくれた)誰それさんから返していくかというところまで来たら第一歩。乗り越えたことで多分感じる時が来ると思う」と語る。番組側が「希望」のようなフレーズを安易に重ねないところに好感が持てた。それらは被災したそれぞれの人の胸のうちに静かにあれば良いと思うからだ。

 そして続く千葉さん息子の声にハッとさせられた。3月11日だから震災当初を振り返る感じはないとしたうえで「これからの3月11日は俺にとっては日常の、前をむいて進んでいく365日のうちの1日でしかない」と語る。3月11日という日を特別な記号として扱い続けてきたメディアに取っては変化球である。ものごとが報道される理由のほとんどはその特殊性にあり、「いつもと変わらない」では身も蓋もない。

 しかし番組は非日常が日常化してしまった人々に対して誠実な姿勢で臨んだ。「友達の命を大事にしてくれるきっかけになればいいのかなと考えています。今日も普段通り子どもが笑顔で来てくれて、笑顔で家に帰ってくれればと思います」という小校長の声とともに、バスに乗り込む高校生や更地のあいだを走る郵便バイクを映し、被災地のふつうの朝を視聴者に届ける。

 私が思い出したのは昨年春の名取市でアサリ漁の再開だ。全国に希望のメッセージを送ろうとする某局のレポーターが、年老いた漁師に五回も言い直しをさせていた。メディアは復興や絆をキーワードに被災の現実を少しずつデフォルメし、当の被災者がそれに疲れてきてしまった。それがこの2年、メディアと被災者のあいだに起きたことだと思う。だからだろうか、「ふだん通りであること」をそのまま伝える姿勢は清々しく映った。

 復興を妨げる問題を深掘りしないゆるさと、被災地のふつうをふつうのまま報道できる柔軟さは作り手の深い場所で繋がっているのだろう。震災関連番組が減少する中、常に毎月のテレビ欄にその名前が載っている安堵感も良い。気負わず淡々と、これからも被災地と「ともに」あって欲しい。


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