震災番組からはみ出た「東日本大震災」

 毎月のテレビ番組表を見ると東日本大震災関連の番組の数も、めっきり減ってきた。その印象は東北でも東京でも変わらない。メディアは語るべきドラマを語り尽くしつつあるのか、あるいは風化が進み視聴者が興味を失ったのか。

 一方でそんな中、虚飾を排し淡々と震災を描き出す長寿番組もある。NHKの『あの日わたしは』は被災した人々が現地を案内しながら震災当日の様子を振り返る番組だ。何を思い、どんな行動をとったのか。たった5分ほどの番組は、過剰なドラマを排した、被災した人々の素朴な語りに満ちている。

 石巻市で小学校の教諭をしていた藤坂雄一さんは十二人の児童たちに救援物資を届けるために冠水した道路を歩いた。また釜石市で歯科医師をしていた早崎行雄さんは犠牲になった197体もの遺体の歯形の照合に努めた。

 おそらく似たような話しは被災地のあちこちにあるのだろうが、たとえ重複したとしてもこの番組はそれぞれの3.11を淡々と描く。どこかに向かおうとするストーリーや、驚きや悲しみもない。ただ本人の短い振り返りによって、過不足ない震災のリアルが露になっている。

 そして淡々とした取材姿勢は、定型に収まらない被災者のリアルにも光を当てる。石巻市の高須賀昌昭さんは「笑い声が聞こえる避難所は珍しかったのではないか」と振り返り、震災当時作ったさつま揚げ入りのカレーを今でも時々作る理由を「あのとき、こういうもの作って楽しかったからね」と振り返る。

 それはメディアがこれまで増幅してきた「震災=悲しみ、そしてそこからの希望」というストーリーから遠く離れた被災者のリアリティだ。

 また思いがけず命の不思議さのようなものが描かれることもある。陸前高田市の吉田千壽子さんは目が不自由だったこともあり、自宅で大地震に遭ったとき「ここで死んでもいい」と一度は諦めたが、落ちてきた巾着袋を掴んだ瞬間、子どもたちの顔が思い出され、生きる決断をする。

 私はこの話しを聞いたとき、名取市で取材中に実際に聞いた別の男性の話しを思い出した。津波にのまれ、桜の樹に掴まっているときに、たまたま可愛らしい服を着たチワワが流れてきた。男性はなぜか「チワワを助けなければ自分も助からない」と思い、流れてきた竿で必死にチワワを助けた、という話しだ。私は取材中に「どうしてチワワを助けなければ自分も助からないと思ったのか」と何度も問いなおしたが、本人にも説明がつかない。吉田さんの巾着袋の話しも同じように、それ以上説明することのできない不思議さに溢れている。こうした不思議さは別の何かを説明するためのエピソードとしては機能しない。そのため「希望」のような予定調和のストーリーからは常に洩れ続けてきた。それだけに貴重な証言だといえる。

 誤解を恐れずにいえば、この連載が始まったとき、『あの日わたしは』を取り上げることになるとは思わなかった。たった5分の短い番組であるし、他の番組に比べてテーマ性の希薄さを感じたからだ。

 しかし約2年のあいだ震災関連の番組を様々な角度から見ると、制作者の意図を排することで初めて見えてくるものもあるのだと思える。これからも被災地に埋もれる無数の素朴な声を拾い続けてほしい。


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