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「取材者は復興を邪魔してはいけない」

 4年目を迎える被災地の3月11日をどう切り取るか。本誌編集部からの課題に迷っていた私同様に、現地の記者たちも迷っていたようだった。

 3月11日午前中、視界不良のため中止になった水中捜索の現場を離れると驚くべき光景があった。更地に基礎だけが残った土地に、震災遺族と思われる夫婦が花を手向けて祈りを捧げていた。ここまではよくある風景だったが、それを遠巻きに見ていた新聞記者と思われる数名が猛ダッシュで夫婦に近づいて行き、カメラを構えてその祈りを撮影し始めた。他人の家の跡地を横切って、だ。

 別の記者2名が望遠レンズをのぞき込み、遠目から撮影を試みていたが、アングルが悪かったのか、乗り遅れたと判断したのか、あるいは、他人の土地を無断で横切ってまで強引な撮影をすべきでないと諦めたのか、その場に立ち尽くして、4名の記者たちを眺めていた。

 いずれにしても私には彼らの姿が獲物を捕獲するライオンとエサにあぶれたハイエナのように映った。

 私は現地の一部の人が、更地になっても自分の土地なのだから、あまり勝手なことはしないでほしい、という声を聞いている。そういう声は地元記者たちには十分届いているはずだし、何よりも震災直後から現地を駆け回った記者たちならば、被災地の空気感として、それが人々に不快を与えるということは理解できていたはずだ。

 自宅跡で手を合わせていた人々はシャッター音の響く中、静かに祈ることができただろうか。

 私は以前に、この連載で様々な取材スタイルを批判的に書いてきた。例えば、3月11日の数日前になって知り合いの被災した人にこんなメールが流れてきた「11日当日に自宅跡で祈りを捧げる人を探しています。どなたかご存じないでしょうか」。私はこのメールを送った記者が、祈る、祈らないという心の揺らぎに直結した事柄を予定調和的に捉えようとしていることに違和感を持った。しかし、11日当日に人の土地を踏み荒らす記者を見たあとでは、まだ事前に祈る人を探しておいた方が良いように思えた。

 また取材中、遺族に祭壇の花を直すように何度も指示を出したり、歩いたこともない公園を物思いに耽って歩くように頼んだりしたことで遺族が不快な思いをしているということも「それって全然私じゃないですよ」という本人の声とともに書いた。

 あるいは、アサリの漁が再開されたときに「全国に向けて前向きなメッセージを」と何度も漁師の取り直しをしていることも批判的に書いた。

 取材をする側にもこれほどのゆがみがあるということが、震災取材の難しさを示していると言えるだろう。

 もしかして、私がここで書いている取材の方法に関する批判はきれいごとでしかないのかもしれない。当の記者たちは祈る人を見つけて、他人の土地を駆け出している瞬間も、自分の取材に含まれている「刃」を十分認識しながらそれを行なっているのかもしれない。そうした伝えることの矛盾も含めて東日本大震災なのかもしれない。

 それでも私は取材中に聞いたある放送局のプロデューサーの言葉を忘れることができない。「我々取材者は復興の邪魔をしてはいけない」。4年目のいまも現地の人々は心の復興のさなかにあるはずだ。


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