引き上げから見えた震災の本質

 「諦めから生まれるのは絶望でしかねえ。」震災直後に放った豪放な言葉の通り、あの日から力強く震災復興に従事してきた男性がいる。宮城県名取市に住む吉田浩文氏。  

 私が彼のことを知ったのは、まだ多くの人が避難所に暮らしていた頃、「小学校で自ら身体に消火ホースを巻き付けて津波に飛び込み、何人もの人を助けた男性がいる」という噂によってだった。

 吉田氏は津波によって閖上地区にあった自身の自宅が全壊したものの、被災直後から避難所に家族を残して毎朝海辺に通い、結果的に約200体もの遺体の引き揚げに従事した。それだけではなく名取市にドライスーツを寄贈したり、未だ実現に至らないものの、復興に向けて海水浴場の再開に尽力したりした。現在では東北沿岸部の防潮堤の建設工事にダイバーとして従事している。

 これらの背景には震災当日の大きな後悔がある。震災前からプロのダイバーとして人命救助に関わってきたにもかかわらず、震災当日、多くの人が目の前で流されながら助けることができなかったのだ。

 痛恨の体験をバネに顕著な活動を続けてきた吉田氏だが、これまでマスメディアにおいて彼の活動はほとんど紹介されることなく4年が過ぎた。

 もちろん震災報道において軽々しくヒーローを作るべきではない。それは一部の人々の突出した行為よりも、無数の人々の見えない忍耐を尊重する傾向が日本人全体にあるからだ。そして私自身もそのような日本人の持つ気質に少なからず美徳を見出してきた。

 しかしながら、吉田氏の特殊な活動を経なければ見えてこないものもまたあるだろう。それは彼が遺体の引き上げを震災前から長いこと続けてきたことと深い関係がある。

 吉田氏は言う。「震災前も仙台港で100体以上の遺体を引き揚げてきましたが、どの遺体にも生きていた人々の生きていたときの物語がありました」。彼によれば、それは岸壁に残された遺書や、海中に沈む遺体の静かな表情であったりする。

 だが、今回の震災ではそれらの物語はことごとく見えないものになっていたと吉田さんは語る。「遺体の多くは恐怖に歪んだ表情をしていたり、細切れになっていて、津波に襲われた瞬間が色濃く刻まれていました。」

 家族の死というのは、やがて誰にも訪れるはずのものではあるが、それでも震災によって家族を失うことは、やはり特異なことである。それは家族の最期の姿に映し出された色濃い恐怖の影が故人の生きていた記憶を大きくねじ曲げ、遺された者を深く傷つけるからである。吉田氏は、こうした震災の本質を証言する貴重な体験の持ち主であるといえる。

 マスメディアが彼の活動に光をあてないのは、おそらく死を直視することのタブーが未だメディアを取り巻いているからだろう。私たちは死を日常から遠ざけることによって辛うじて安定的な毎日を得ており、吉田氏の活動はそうした私たちの安定領域を大きくはみ出るものである。

 にもかかわらず私が個人として吉田氏の話しに惹き付けられてきたのは、死を直視し続けた彼の体験のどこかに、不確かな私たちの生の輪郭を教えてくれる瞬間があるからに違いない。長い復興の途上、彼の活動に光を当てるメディアがあっても良いのではないか。


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