『フクシマの嘘』が突きつける恥
海外のジャーナリストたちが福島の原発問題に向ける眼差しは鋭い。ドイツZDFが描いた「福島のウソ」はその最たる例だろう。番組中で菅直人元首相は東電、政府、学者から成る「原子力ムラ」に対抗したために退陣に追い込まれた顛末を自ら語っている。勇気ある告発だと言える。
菅によれば、原発の安全性に疑問を呈すれば学者は出世の道を断たれ、政治家たちは電力会社からの献金や支援を止められるという。
事故当時、事故対応担当官だった馬淵澄夫も自らの解任についてほぼ同様の背景を語っている。原発からの汚染水を食い止めるため遮水壁作る計画を発表しようとするが、記者会見は中止に追い込まれ、しつこく要求を続けた結果の解任だった。
この番組が私にもたらす感覚は「恥」である。ひとつには自分の国の政治が既得権益にまみれた癒着体質であることの恥、もうひとつはそれを海外経由で知らされることの恥だ。そしてこの2つ目の恥は私に3つ目の恥を思い起こさせる。
2012年秋、私はオーストラリアのフォトジャーナリストに「警戒区域内に一人残り続けている男性を取材したい」とコーディネートを頼まれた。同時に送られてきたBBCのニュース動画は、マツムラナオトという男性が20キロ圏内にただ一人残り、残された動物たちの世話をしているという内容だった。
私はこのような福島を巡る状況を海外経由で知ったことを日本人として恥ずかしく思いながら、彼について取材を手伝った。
取材を進めるうちに警戒区域内で動物の世話をしている人がマツムラ氏だけではないことがわかってきた。
浪江町で希望の牧場を営む吉沢正巳氏もまた、政府に殺処分を言い渡された牛たちを守り続けていた。
だが頻繁に東京に繰り出し渋谷で街頭演説を行うという彼の声も街の騒音にとけ込んだのか、メディアを通して聞こえてくることはなかった。
そしてメディア同様、無関心という恥は私の中にもあった。たまたま渋谷で買い物をしていたある日、偶然交差点で演説中の吉沢氏を見つけたが、見て見ぬふりをしてしまったのだ。
「福島のウソ」は「恥」の他にも原発と放射能に関するあらゆるテーマを投げかけてくる。原発から遠く離れた阿武隈川流域一帯の汚染を突き止めた科学者、山敷庸亮は事故後の安全基準値が100bq/kgから80倍の8000bq/kgに引き上げられたことを指摘する。
あるいは、前述の吉沢氏も番組に登場し、40年牛を飼い続けて、初めて白班が出てきていることを話す。
他にもヤクザの仲介によって除染や原子炉の収束作業にホームレスが従事している実態や、現在の再稼働プランでは事故が起きても銀行や株主は責任を取らない事実をも描く。
このように原発を巡る報道の切り口が無数に存在する中、日本のメディアはどれほどの気概を見せてきただろうか。
かつて私が恥に気づいた渋谷駅から山手線に乗れば、ドアの上のミニテレビに人気グループTOKIOが映る。福島の米を「うまっ!」と頬張る、なにやらプロパガンダのにおいがするCMだ。
たしかに福島の米はうまいのかもしれない。だがそれは日本という列車の行き先の正しさを意味しているわけではないはずだ。