閖上津波訴訟シンポジウムのレポート

 5/11に仙台弁護士会館で行われた、閖上津波訴訟シンポジウムに参加してきました。およそ80名前後の方々が、この閖上津波訴訟の裁判をめぐる「これまで」と「これから」に関心を向けていました。たくさんのご遺族、不明者家族が思いを抱えて集まっていたと思われます。

 この閖上津波訴訟は震災の行方不明者家族が名取市を相手取って起こした裁判です。弁護団の方によると、名取市の法的責任を問う唯一の方法は、国家賠償請求という方法しかない(国家と名がつくが地方自治体も対象に含む)。賠償を求めるので、金銭を求めることになる。仮に賠償を求めず、市の責任だけを問うことになると、裁判所としては受け付けられない、とのことでした。昨年3月に1審の判決が出て、原告の請求が棄却されています。

 訴訟に至るには、主に震災当日の事実解明の過程での、名取市側の対応の悪さが大きな要因であったと思われます。冒頭ではその過程が原告の方によって語られました。(以下概略)

→震災からもうすぐ1年が経とうという頃、震災当日に閖上地区で防災無線が鳴らなかった事実を初めて知る。

→閖上地区遺族や不明者家族を中心として「名取市震災犠牲者を悼む会」が発足、会を通じて2012年5月、7月二度にわたり名取市に公開質問状を提出。 「現地再建を急ぐ前に、被害が拡大した原因を検証すべきだ」と主張してきた。しかし期待していた市長からの詳細な説明とは裏腹に、「書面での質問には書面でお答えします」との答えとともに市長が2分で退出するという事態になった。

→名取市には期待ができないと思い、第三者委員会を設置に向けて運動を展開。2012年11月4000筆の署名を集めて名取市議会に提出。全会一致で採択されるも、法的拘束力はなかった。市長からは「独自に検証を進めているところであり、第三者委員会の設置は考えていない」とのコメント。 ここで原告の方、心が折れると同時に「隠したいことがあるのではないか」という疑念がもたげてくる。

→結局、第三者委員会が設置され、報告書は無事にできた。しかし300部しか発行されず、取りに行かなければ手に入らないという消極的な報告形態で、市議会でも取り上げられなかった。報告書の中では名取市の震災当日の対応が批判されていた。それを元に防災マニュアルの改定が急がれたが、その動きも当時はなかった。

 (*第三者委員会の報告書では、主に「災害対策本部初動対応の検証」、「避難行動の検証」、「防災行政無線不具合の検証」などが行なわれており、それぞれについて教訓や提言などが盛り込まれている)

 ただ、これらの報告書の中でもわからないことがたくさんある一方、名取市との対話は無理だという思いも生じていた。このままでは失われた命が無駄になってしまう。これで終わらせてはいけないという気持ちから訴訟に踏み切ったとのことでした。

 その後、弁護団の弁護士さんから、第1審の報告と国家賠償法1条、2条の争点が詳しく語られました。第1条では公務員の過失があったかどうか(主に避難広報が適切に行われたかどうかなど)、第2条では防災無線の欠陥があったかどうかが問われたと言います。

また1条と2条それぞれについて以下の3ステップが論点となっているそうです。

1、過失や欠陥が認められる

2、原告の損害が認められる

3、それらの間に因果関係が認められる

 これら3つのステップを経て初めて勝訴を勝ち取ることができるとのこと。とはいえ今回は1の過失や欠陥が認められるだけでも、「実質的な勝訴」だと言える意味合いがあったそうです。つまり仮に勝訴という判決がなくとも、裁判の過程で市の過失が認められたとなれば、その社会的意義は少なくないということでしょう。

 ただ第1審ではそのステップ1も認められない判決内容で、「第三者委員会の報告書内容よりも後退した」とのことでした。ここでいう後退とは、名取市の責任をどこまでとするか、その線引きにおいて原告の主張が一歩退けられた、という意味と考えられます。

 後半のシンポジウムでは、女川七十七銀行訴訟の原告田村孝行さん、閖上津波訴訟弁護団の小野寺義象さん、ノンフィクションライターの西岡研介さん、原告の男性が登壇しました。(主な発言等)

 田村さん

 女川七十七銀行女川支店での勤務中に津波で亡くなったご子息の犠牲とその裁判について語られました。これは閖上津波訴訟とは別の裁判ですが、同じ宮城県内の津波の訴訟という意味では大きな社会的意義があると言えます。

 「支店の隣に堀切山という高さ50メートルの山があり、震災当日およそ600名が逃げて助かった。女川には他にも複数の銀行があったが、それらは皆3時過ぎには避難を完了、七十七銀行だけは屋内にとどまるようにとの指示があった。他の銀行では適切な避難が行なわれ無事だったが、七十七銀行だけが犠牲者を出した、これはなぜかという思いから、長らく疑問があった。」

 こうした背景から訴訟を行ってきたが、1審、2審とも認められず、最高裁でも認められなかった。今では、企業防災の活動をしているとのことです。

 「ヒューマンエラーは必ずある、その時に真摯に向き合うかどうかが大事ではないか。諦めずに最後まで語り続ける、それが風化を避ける。息子の命から学んだことを話していきたい。」

 小野寺弁護士

 「この閖上津波訴訟はアンカー訴訟と言って、津波の訴訟の最後を走っている。2014年の3月までが裁判を起こすことのできる期限だったが、それを半年引き伸ばし、そのギリギリまで悩み抜いての決断だったため、一番最後になった。」小野寺弁護士の言葉から、住民の方々にとって、行政を相手に真相を究明していく機会はこの訴訟が最後になる可能性が高いのではないかと思いました。

 また裁判を通して実現したい、真相の究明、被害の救済(精神的な救済)、今後への教訓という3本柱についても話していました。他の津波の訴訟と合わせて、国民の思いに応えるような裁判所に変えていくような運動もしなければならないとのことでした。

 西岡さん

 「名取市の真摯さを欠いた対応をきちんと描いていくことで、今後全国の行政や防災関係者への教訓となるだろう」

 震災後しばらくは行政への批判は控えていたとしつつも「名取市側が自助を強調するのはおかしい」との事でした。もちろん災害において自助(自分の身は自分で守る)は重要な意識になるのでしょうが、名取市が裁判の文脈で自助を強調すると、責任逃れの意味合いが強くなるという事だと思われます。

 他にも風化に抗うための報道の意味を強調していました。「例えば原発に関する記事は毎週どこかに出ている、その事が再稼動に対してある意味でブレーキになっている」

 原告男性

  原告男性の口からはこれまでの8年の長い日々の思いが改めて語られました。

 「同じように亡くされた方の家族のために闘ってきました。」

 「(南海トラフなど)別の災害の自治体に過ちを繰り返してほしくないという思いでやってきました。」

 今回、閖上、女川での裁判のケースが語られましたが、両原告とも相手側の真摯な対応、検証や謝罪などがあれば訴訟にはならなかった、当初から裁判を考えていたわけではなかった、という内容のことを話していました。小野寺弁護士が「精神的な救済」について話していましたが、それが広く行われることも震災復興の大事な過程であるように思えました。

 閖上津波訴訟について、今回のようなシンポジウムが開かれるのは初めてとのことで、第1審を終えての総括の意味合いがあったように思います。あの日閖上で何があったのかという疑問を持つ人は、住民の方の中にも多くいるでしょう。これまでの活動の中で真実を追求してこられた皆さんにはただただ頭が下がる、そんな思いの1日でした。


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