1 プロローグ

 

 真っ暗な運河の底を歩いていた。

 淀んだ水面は油膜で覆われ、昼間でも陽の光は届かない。上も下も分からない、本当の闇だった。運河の底にはぶ厚い泥が溜まっていた。潜水用のブーツの靴底にはいつも、田んぼの中を歩いているようなズブズブとした感触があった。

 行く手には無数の残骸が折り重なっていた。ひっくり返った車、冷蔵庫やバイク、家屋の屋根。容易に進むことはできない。

 頼りになるのは、手にした一本の棒だけだった。その棒で運河の底を突きながらゆっくりと歩く。棒の先にぼってりとした土嚢のような感触があれば、それが人の腹や太ももであるかもしれなかったし、コツコツと固い感触があればそれは人の頭かもしれなかった。これはと思うものを手探りで引き上げ、水面にあげてみて、初めて人であるということが確認できる。それを土手の上で待つ警察官に引き渡すと、また同じように暗い水の中へと潜っていく。

 そうやって何日も同じことを繰り返しながら、いったい何人を引き上げたかわからない。「わからない」というのは、あまりにも人数が多いためにわからないということももちろんあった。ただそれ以上に、頭だけ、腕だけ、手の先だけということも多く、いったいどれが一人なのかがわからないのだった。

 

 昼時になると水から上がり、土手の上に腰掛けて一息つく。乾いて硬くなった支援物資のおにぎりと小さな缶詰が一つと水。それらをかきこみながら、分厚い写真の束に目を通す。岸壁に往来する行方不明者の家族が「見つけたら知らせてください」と言って置いていったものだった。最初は数枚だったが、その数も日に日に増えていった。

 だが何度も見るうちに海水でふやけてしまったそれらの写真も、実際の捜索にはほとんど役に立たなかった。運河から上がってくる遺体は泥だらけであったり、傷ついて色や形が大きく変わっていたりして、とても人物を特定できる状態ではなかったからだ。

 

 日没が近づく頃、一日の作業を終えると警察や消防とともに報告と打ち合わせをする。潜水具を車のトランクにしまうと、エンジンをかけ、朝方通ってきた避難所への一本道を再び戻っていく。

 車窓からは瓦礫の荒野がどこまでも続いて見えた。それは見渡す限りのどうしようもない空間でしかなかった。漁船が田畑に転がり、壊れた家々の屋根や木材、ひしゃげた車が辺りを覆い尽くし、引かない海水が田畑に溜まったまま曇天を映す。ぴんと張り詰めた緊張が何日も続く中、心の底でぼんやりと考えた。

 

 「いったい、いつになったら終わるのだろう…」 

 

 吉田浩文が行方不明者の捜索にあたっていたのは、宮城県名取市閖上地区にある貞山堀と呼ばれる運河の中だった。名取川を挟んで仙台市の南隣に位置する小さな港町。吉田は七年前に妻と小さな息子を連れてこの町に引っ越してきた。それからというもの、夏には海水浴場の警備主任をし、アルバイトにやってくる地元の若者たちを育てながら過ごしてきた。夢を持った若者もそうでない若者も、同じ夜空を見上げ、同じ花火を見つめていた。それは吉田にとって幸福な日々だったと言えた。

 

 その吉田が大震災の直後から行方不明者の捜索に携わっていたのは、本職が潜水士であったからだった。それも、かなり変わった経歴を持つ潜水士だった。ふだんは港湾土木の工事現場で潜水業務をして生計を立てていたが、潜水の腕前を買われ、警察に頼まれた仕事を請け負うことも少なくなかった。

 自殺者を港の底から引き上げたり、沼に投げ捨てられた事件の遺留品を捜索したり、悪天候に遭難しかけた船から民間人を助けたこともあった。そうした特殊業務を専門的に行えるダイバーは宮城県内には吉田の他にほとんどいなかった。そうして人知れず行ってきた活動によって警察や消防から幾度となく表彰を受けたことを、吉田は永らく誇りに思ってきた。

 

 ただ大津波によって自宅はおろか街ごとを飲み込まれてしまったいま、過去の栄光ももはや役には立たなかった。あるのは「自分にできることがきっとあるはずだ」という漠然とした思いでしかなかった。

 大津波がやってきたあの日、吉田は避難した先の小学校で何人かを救出をしたものの、遠くで助けを求めながら流されていく無数の人々をどうすることもできなかった。中にはおじいさんやおばあさんや、小さな子供の姿もあった。無力でしかなかった。

 

 「あの時、潜水用のドライスーツを持って避難していれば…」

 

 何十人だって助けることができたにちがいなかった。それからの数日、吉田は避難所に身を寄せながらできることを探した。市長に捜索参加を申し出、県外の知り合いのダイバーに連絡して全国から選りすぐりのダイバーたちを揃え、自らも暗い海へと潜り始めた。

 壊れた街。鼻をつく、すえた津波のにおい。遅い東北の春はそれまでに過ごしたどの春とも違った色合いを帯びていた。

 

 「大変な時ほど、笑わなきゃいけねえ」

 

 避難所で帰りを待つ妻と息子に、吉田は常々思っていたことを言い聞かせた。それは家族を前向きにさせもしたが、底のない悲しみにうなだれる周囲の避難者にとってはどこか空虚に響いたかもしれなかった。

 いずれにしても吉田は自分を奮い立たせるしかなかった。そして支援物資のビスケットを腹に流し込むと、次の朝もまた同じ海辺の運河へと向かっていった。

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