金の悩みと破産  

 

 

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 若くて生意気な成功者。当時の吉田のことを周囲はそう見ていたかもしれない。会社を急激に拡大させ、確かに大きな自信を持ちつつあった。警察界隈にも頼られるようになっていた。仕事もできるし、金もある。ただ一方で、吉田は端から見えないところで幾つかのほころびを抱えてもいた。

 その一つが土木潜水の傍らで、警察に頼まれては引き受け続けてきた行方不明者の引き上げだった。そこには金にまつわるトラブルがいくつもついてまわった。そして引き上げを繰り返すに連れて、そのほころびは次第に大きなものとなり、やがて吉田を脅かし、内面的な矛盾を深いものにしていくことになった。

 

 吉田が最初の十件ほどの引き上げ現場を終えて驚いたことは、捜索費用を請求すると難色を示す遺族が想像以上に多いということだった。最初のうちはそれが何故だかわからないでいた。だがどうやら大部分の人が捜索には費用がかからないと思い込んでいるらしいということが分かってきた。

 そしてその背景に「山はかかるが、海はかからない」という世間の根強い誤解があることも見えてきた。吉田も以前にテレビのクイズ番組でそのようなことが言われているのを見たことがあった。つまり人が山で行方不明になった場合は捜索費用がかかるが、海での行方不明者捜索には費用がかからない、と多くの人が思い込んでいたのだ。

 しかし現実はやや違っていた。山岳捜索の場合、自衛隊や警察による捜索のみであれば費用はかからない。その際の人件費などは公務員への給与としてもともと支払われているし、機材を投入したとしても、税金で賄われるということもある。

 だが実際には山の地理に詳しい民間人である地元の山岳会の人たちが主体となり、時には高額なチャーター料金が発生するヘリコプターを出動させることもある。そのため、民間捜索隊への日当やヘリコプターのチャーター料などが合わさり、莫大な費用がかかることがある。この意味で「山はかかる」という部分は概ね正しいと言えた。

 一方で海での捜索はどうだろうか。金がかからないと言われている理由は、海の捜索においては山岳捜索隊のような民間の組織がほとんど存在しないということにあるようだった。民間人が動くとしても、不明者の家族が砂浜を歩いて捜索を手伝うくらいのもので、専門的な捜査は実質的に公務員である消防、海上保安庁や警察の機動隊が中心となって行っていた。とりわけ人だけが海に落ちたという場合であれば、これらの公務員による捜索で済み、確かに「海はかからない」と言えた。

 ただ例外的に民間人に出番が回ってくることもあった。例えば車ごと人が海に落ちた場合は、車を引き上げるための重機を使わなくてはならないが、その重機は当時の宮城県においては民間のものを借りるほかなかった。また気象や時間帯などの条件によって機動隊や消防、海上保安庁などの出動が難しい場合も、吉田のような民間ダイバーに出動を依頼することになる。

 あるいは、警察や消防、保安庁などによる捜索が打ち切られてしまうケースもまた、吉田のような民間人の出番だった。捜索が打ち切られてしまえば、沿岸部には見つけられることのない遺体が人知れず沈んだまま、ということになる。こうした行方不明者の案件のうち、遺族がさらなる捜索の継続を希望した場合は民間ダイバーのところに話しがまわってくることになる。

 これらのケースでは民間ダイバーたちが、山岳の民間救助と同じく、それぞれに日当や諸経費を請求していくことになる。つまりそれなりの費用が発生せざるをえない。その意味で「山はかかるが、海はかからない」というのは間違っていると言えた。

 ただ、「海はかからない」という先入観を持った人々にとって、高額の請求が理不尽に映ったとしても不思議ではなかった。

 「えっ、お金がかかるんですか」

 そう驚かれることがあまりに多く、時にはトラブルが発生することもあった。そのため、吉田はある時から引き上げる前に事前に金がかかることを知らせ、了解を取ってから引き上げることにした。

 

 

 それだけならばまだ良かったが、金に関するトラブルは尽きなかった。少なくない遺族が請求に難色を示すだけでなく、実際に金を払わず踏み倒すということがわかってきたのだ。最初の数件を引き上げた時点で「そのうち払われるだろう」とあまり深く考えていなかったが、何か月経っても約束の金が振り込まれず、それまで連絡が取れていた人が、急に連絡が取れなくなったりした。

 理由を辿っていくと単純に金のない遺族が多いということがわかってきた。何度か言われたのは「葬式代を払ってしまったので払えません」という返答だった。金がないという理由としてはもっともらしく聞こえたが、遺体を引き上げた吉田としては「誰のおかげで葬式が挙げられと思うのか」と言い返したくなったりもした。

 督促のために行方不明者家族を紹介してきた港湾事務所に問い合わせたこともあった。だが「私たちは紹介しただけですから。お金のことは民間同士でやってください」と言われてしまった。納得はいかなかったものの、確かに民間同士のやりとりは自分たちで解決する他なかった。

 年間三十体の引き揚げ現場を担当して、きちんと支払われたのはその半分にも満たなかった。残りは踏み倒しや破産、引き取る人がいないといったことが原因で未払いのままだった。

 当然といえば当然のことであったかもしれない。自死に至る多くの場合、借金を苦にして絶望の末に自ら命を絶つというケースが多かった。もし遺族にあたる人々が裕福であれば、いや、裕福とまでいわなくともせめて何らかの形で手助けができれば、死に至る以前になんとかなったかもしれない。それでもどうにもならなかったということは、周囲の遺族も金に困っているということが少なくなかったのだろう。あるいはそうした悩みを相談できる人が周りにいなかったのかもしれない。

 

 とはいえ、吉田としても踏み倒されて「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかなかった。吉田も食っていかなければならなかった。息子たち二人も育てていかなければいけない。そこで自ら債権の回収に乗り出すことになった。

 しかし慣れない吉田にとって、未払いの督促はうまくいかないことの方が多かった。自宅を訪ねてもすでに誰もいない時もあった。そんな時は他の親戚や兄弟に当たることもあったが、本来の仕事の合間に回収を行わなければならず、限界があった。うまく回収できることもあったが、徒労に終わることも多かった。

 

 苛立ちを募らせていた吉田だったが、ある時、その苛立ちも霧消してしまうような光景に出くわしたことがあった。三十代くらいの男性が海に落ちて吉田が遺体を引き上げを担当したときのことだった。弟にあたるラーメン屋の店主に引き上げ費用を請求したが「お金がなくて払えません」という返事があった。話し合った末に分割払いで毎月振り込むということで話がついたが、翌月に最初の一万円が振り込まれたきり、連絡が取れなくなった。何度も連絡しているうちに、しつこいと思われ「宮城県に訴えてやる」と言われた。吉田としては払うと言ったものを払わないというのはおかしいと思ったが、港湾事務所から「借金の取り立てよりも厳しい、とクレームが入ってます」と言われてしまった。

 仕方なく、兄がダメだと思った吉田は母を訪ねることにした。住所を頼りに福島県まで車を走らせていくと、県道から遠く離れた山の斜面の雑木林に小さな一軒家がひっそりとあった。うら寂しく、見るからに貧相な家だった。玄関の引き戸は立て付けの悪さから、がくがくしてなかなか開かず、窓にはガラスの代わりに割いた透明のビニール袋がビニールテープで貼られていた。

 戸を開けると狭い部屋に年老いたおばあさんが座っていた。部屋の片隅のテーブルには死んだ息子の位牌と申し訳程度の仏具が置いてあった。位牌はかまぼこの板のようなものにマジックで生前の名前を書いただけのものだった。戒名を貰う金すらないようだった。

 「お金がないんです…」

 申し訳なさそうに言ったおばあさんの声に、吉田はそれ以上何とも言えなかった。金を回収しにわざわざ福島の山奥まで出向いたが、「払えない」という遺族の言葉にある程度納得させられてしまったかたちになった。

 

 こうした金の払えない遺族の状況を見るにつけ、吉田は「取れないならば仕方ない」と半ば諦めの気持ちになった。また吉田の潜水士としての技術を無償で提供することも、一度や二度のことであればやぶさかではなかった。

 ただ当然限界もあった。引き上げは多くの場合、吉田の潜水の技術の提供だけでは完結しない。クレーンを使って車を引き上げ、運搬用の車を手配し、廃車の費用を払う必要があるのだ。

 あるいは、車が落水した時にスピードが出ていれば、かなり沖の方に沈んでいるということもある。その場合、船を用意して岸壁まで車を引き寄せる必要があり、別途費用が嵩んでくる。それらの機材を全て吉田が手配できれば良いが、ほとんどの場合は別の会社に機材を借りることになり、これらの会社に対して支払いが必要になる。

 もし遺族から支払いがなければ、その穴を吉田が埋めなければならなくなる。つまり引き上げの仕事をすると収入があるどころか、赤字がどんどん増えていってしまう。これが長いこと続いていくと、当然人道的な心だけではやっていけなかった。二十代で引き上げを始めた時は怖いものなど無かったような吉田だったが、さすがに未払いがかさんでいくことにどうしたら良いか分からないという気持ちが募った。ある時、こうした悩みや矛盾を港湾事務所の担当者に打ち明けたことがあった。

 その担当者も、金にまつわる複雑な経緯を知る人物だった。そもそも吉田に依頼をかけたのは、急増する自殺者に難儀していた警察であったが、警察では民間人の吉田を雇う予算がどうしても出なかった。遺族に重機の代金をもらえればそれに越したことはないが、ほとんどのケースが借金苦を原因にしたものであり、支払いがない場合が多かった。そこで途中からは港湾事務所に間に入ってもらい、家族から費用が払われない場合、「港湾機能の維持、管理」という名目で、ある程度の費用を捻出し、警察はそこに対する口添えのような位置づけになった。だがその額も重機の諸経費を考えれば知れたものでしかなく、最終的に吉田が割りを食うだろうことは、明らかなことだった。それを知っていた港湾事務所の担当者は、同情してこんなことを言った。

 「もともと多額の請求をしているわけではないのだから、どうしても足りなければ、次の人に少し上乗せして請求したらどうですか」

 

 吉田はなるほどそういう手もあるかと思ったが、それでいいのだろうかという気持ちも残った。別の人に請求を出すのはどうなのだろう、と。

 だが他に選択肢もなく、吉田は最終的にアドバイスに従うことにした。それは苦渋の選択だと言えた。どうしても金がなくて支払ってもらえない場合は仕方なく費用の回収を諦め、代わりに足りない分を次の捜索費用に上乗せする。請求された側からすれば払えない人の分を請求されることになり、理不尽に映るかもしれなかった。だが吉田は自分に言い聞かせ、納得させた。そもそも物の値段だって変化する。例えば豆の値段が上がれば納豆の値段も上がるものだ、と。

 これによって、当初数万円程度だった一件あたりの請求額が次第に増えていった。しかも未払いがあまりにも多かったため、上乗せの額は雪だるま式にどんどん大きくなった。最終的には一件の請求が百万円に達することもあった。だが、どんなに赤字が嵩んでも一件につき百万円を超えないようにと上限を設けることにした。もちろん遺族には他の案件の分が上乗せされていることは言えないでいた。

 

 

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 しかしこのような価格設定にすることで、請求された側の遺族の不満は今までにないものになった。当然といえば当然のことであったし、吉田もある程度予想していたことではあった。だが遺族との摩擦は予想外に吉田を疲弊させた。

 ある時は遺族側の弁護士が間に入ってきて、「高すぎるので一万円か二万円にしてください」と言い、「これでやってもらえなければ裁判にかけます」と言われたこともあった。仕方なく言われた値段に引き下げたが、気持ちの良いものではなかった。金が入ってこないという実際的な理由もあったが、何よりも自分の仕事の価値を低く見られたような気持ちになった。危険を冒して海に潜り、家族の代わりに遺体を拾い上げてきたのに、タダ同然に値切られ、いやなら裁判にするという。吉田は「それでも人間か。良心の呵責はないのか」と食ってかかった。

 別の時は遺族が警察に電話をかけ、「取りたいだけ金を取りやがって、こんな足下を見ているやつにやらせていいのか」と怒りをぶつけられたこともあった。吉田も怒らずにはいられなかった。足元を見ているつもりなどどこにもなかった。むしろこれまで遺族の未払いを肩代わりしてきたのは自分なのだぞ、と言い放ってやりたいところだった。

 「文句があるなら、あなたが自分で潜って引き揚げればいい」 

 売り言葉に買い言葉。つい口乱暴な言葉が口をついて出てしまう事もあった。悲しみの渦中にあった相手の遺族には当然、吉田の暴言が非常識と映った。するとあとはもう喧嘩のような言葉の応酬になった。

 遺族の代わりになって海に潜って引き上げをしている。それなのに感謝されるどころか、気がつけば罵られ、喧嘩になっている。それは飛ぶ鳥を落とす勢いで会社を拡大し、肩で風を切っていた吉田に翳りがさす瞬間でもあった。

 

 吉田の中で矛盾が渦巻いていた。というのも、吉田も心の中で薄々このように思い始めていたからだった。

 「やはり本当は金をとるべきではないのではないか…。」

 かつて警察が仙台港に落ちた男性の捜索を三日ほどで打ち切ってしまったことがあった。その時、孫を亡くしたおばあさんが警察に泣きついていた。

 「なんとかお願いします。もう少しだけ探してもらえないですかね、何とかお願いします」

 「すみません、もう探せません」

 警察はおばあさんを振り切って帰ってしまった。捜索だけが警察の仕事ではないため、ある意味では仕方ないことではあった。不憫に思った吉田は警察に作業の引き継ぎを申し出、海上保安庁に書類を提出して無償で捜索を続けた。家には帰らず現場に止めた車の中で寝泊まりを続け、二十一日目に浮かんできた男性の遺体を回収することができた。半ば諦めていたおばあさんは泣きながら「本当にありがとうございました」と吉田の手を握った。

 その時吉田が感じたことは次のようなことだった。たとえ遺体の姿になってしまっても、やはり誰もが失われた家族と再会したいのではないか。家族にとって遺体が返ってくることで、初めてその人の中でひとつの終わりを迎えることができるのではないか。葬儀の時に何もない箱に向かって手を合わせるのと、骨の一つでも返ってきて対面するのとでは大きな違いがある。

 だとすると、金があるから家族と再会できる、金がない人は家族と再会ができない、というのはあまりに酷なのではないか。そして自分が引き上げの費用を請求することで、大なり小なりそうした不条理を作り出してしまっているのではないか。

 

 そのように考える時、吉田は引き上げの請求に対して罪悪感を覚えるようになった。そしてその罪悪感は引き上げと請求を繰り返すたびに、吉田の中に澱のように色濃く溜まっていった。

 ふつうの護岸工事ならば金を取るのは当たり前だった。それが商売であるということは、吉田としても周囲としても、誰ひとり疑問を挟む余地はなかった。だが同じ潜水でも遺体が関わることになった途端に大きな葛藤が生じる。それはもはや無視できないものになっていた。

 

 その反動からだろうか、吉田は多少ヒロイックなかたちで困っている人を助けてやるということも多くなっていった。そしてその人助けは、とりわけ年老いたおばあさんや幼い子供など、弱い立場にある人に向けられた。

 あるときこんなことがあった。珍しく年の瀬に雪の降った夜、十時頃に仙台港湾事務所から電話があった。釣り客から警察に「車が落ちた」と通報があり、警察からの依頼で吉田は引き上げ要請を受けて現場に駆けつけた。一面雪の積もった埠頭に自動販売機の灯りがひとつ、一本の轍の先にパトカーのランプがくるくると回っていた。

 現場では六歳くらいの男の子と四歳くらいの女の子が警察官に保護されていた。目撃証言によれば自動販売機の前で子供たちを待たせたまま、母親だけが車に乗って百メートルほど離れた岸壁から海に飛び込んでしまったようだという。

 自販機の前に残された子供たちには、母親がどこに行ったのかわからない様子だった。互いに手を繋いだまま温かいココアの缶をひとつずつ握りしめ、どうしても警察車両に乗ろうとしなかった。

 「お母さんがここで待っててって言ったから乗らないよ」

 男の子は言い続けた。吉田は子供たちに「お母さんを連れてきてやるから」と約束し、海に潜った。潜りながら吉田は「子供を残して死んでいくなんて、どうしようもない親だ」と思っていた。だが、収容したセダンの後部座席から意外なものが見つかった。空になったジム・ビームの瓶だった。極めて度数の高いアルコールをひと瓶丸ごと飲み干したのだろうか。死のうと思っても死に切れず、酔うことでやっと踏み出したのかもしれないし、酒をたくさん飲んで飛び込めば酩酊して確実に死ねると思ったのかもしれない。水の中から見つかった母親は黒い喪服を着ていた。

 「よほどのことがあったのだな」

 またトランクからは箱に入ったままの未使用のランドセルが出てきた。その事実はなぜか吉田にこのような印象を抱かせた。子供たちを連れて一緒に飛び込まなかったことが、親としての最後の愛情だったのだろうな、と。

 のちに警察が捜査を進めると、亡くなった母親は一年前に父親と離婚していたため、子供たちの身寄りは福島に住む八十歳を過ぎたおばあさん一人になってしまったことがわかった。身寄りのなくなった小さな子供たちが遠い街でおばあさんとひっそりと暮らしていく。そしてそのおばあさんの先行きもさほど長くないだろうと考えると、やはり引き揚げ費用を取ることなどできないと思った。かわりに吉田は警察に頼んで、おばあさんに子供たちの入学祝いを渡してやった。

 

 このような行為は吉田を知る数少ない現場の人々にとって、美談として映ったに違いなかった。実際のところ、吉田の正義感や面倒見の良さなくしてはできないことではあった。

 ただ、吉田はどこかで無意識のうちに帳尻合わせをしているようなところもあった。数々の引き上げに対する金の請求が折り重なり、時には金のない人にそれを請求する。それを繰り返すうち、心の底には罪悪感が澱のように溜まっていった。頭では請求していくほかないと考えていても、心はついていかなかった。

 吉田は困っている人を無償で助けることで後ろめたさを振り払い、どこかで心のバランスをとっているようなところがあったのだ。

 

 そんな吉田のことを、ある人は「汚れた英雄」と呼んだ。それは現場の誰かが勤務の合間に冗談半分で口にしたものだったが、やがてそのあだ名は警察官や消防、海上保安官や港湾事務所の職員といった、引き上げ現場の仲間たちの間に広がっていった。そして吉田自身もそれを聞いて、まんざら間違ってもいないなという気がした。 

 「汚れた英雄」というのは、もともと一九八二年に公開された草刈正雄主演の映画のタイトルだった。その映画のストーリーはこんな内容だった。主人公の晶夫は戦時中に両親を亡くし、戦災孤児としてオートバイ屋を経営する叔父に引き取られる。そこでレーサーやメカニックとしての才能に目覚めた晶夫はレーサーとしてのトップを目指すべく、トレーニングに励む。一方で生まれ持った美貌を武器に、社交界の令嬢たちを次々にものにし、彼女たちからレース資金を調達していく…。

 物語の内容自体は当時、遺体の引き揚げを繰り返し、悪夢にうなされながら警察の捜索の影に徹していた吉田の人生とは大きく異なっていた。むしろ、主人公晶夫の金にモノを言わせるような人生と、請求書を踏み倒されて赤字を重ねつつあった吉田の人生とは正反対の物語であるとすら言えた。

 だがそれでも「汚れた英雄」という言葉の響きは吉田自身の状況をよく表していた。困っている遺族に替わって危険な海に潜り、誰もやりたがらない遺体の引き上げをし、ときには人知れず借金の肩代わりまでした。それは吉田の英雄的な一面だと言えた。一方で悲しみの中にある遺族に多額の請求をし、ときには足元を見ていると罵られ、彼らと喧嘩さえしてしまう。

 それは不本意ながら「汚れた」と言われても仕方がない一面だった。結局のところ、良きことをしているつもりでもなぜか悪者にされてしまう。そんな吉田を取り巻く矛盾や皮肉を「汚れた英雄」という言葉はよく表していた。そして吉田自身もその言葉の響きを苦笑しつつ、どこかで面白がっているところがあった。

 

 

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 引き上げをやめようかなと思ったことは一度や二度ではなかった。借金がかさみ、加えて遺族から罵られるようなことが続くと、「死んだ人の家族のために」という気持ちも薄らいでいき、引き上げの作業にも積極的な意味が見出せなくなってくることがあった。

 もし引き上げを引き受けなければ、これ以上の赤字を出さずに済む。そして通常の護岸工事だけを引き受けていけば、今までの赤字もいつかは解消されるだろう。何よりも遺族に罵られることもなくなれば心をすり減らすこともない。そうした考えが頭をよぎるのは自然の成り行きだった。

 

 しかし、現実には引き上げを辞める一歩手前になると、吉田はなぜか踏みとどまってしまうのだった。ひとつには吉田の代わりはなかなかいないということがあった。そもそも警察や港湾事務所が吉田を頼って「二十四時間対応出来るダイバーを探しているのです」と声をかけてきた時も、吉田以外に他の民間ダイバーの選択肢はなかった。費用の面でどうしてもダイバーが割りを食ってしまうため、他に引き受けてくれそうな人はいなかった。というよりも、急増する自殺者に対応しきれずに民間ダイバーに頼るというアイディア自体が、ある意味で吉田ありきの体制作りだった。

 「吉田さんなら引き受けてくれるだろう」

 赤字も覚悟で、頼まれたら断らないという、親分肌な吉田の性格を織り込んでの依頼だった。そして吉田も、長年現場に出るうちにそうした自分の立場を自覚しつつあった。

 

 加えて、警察でも見つけられなかった案件が吉田のところにまわされ、実際に吉田が捜索にあたると見つかるという状況も続いていた。そうした状況が続くと、金が出ていったからといって簡単にやめるというわけにもいかなかった。

 もし自分が捜索の仕事を辞めたとしたら、見つからない行方不明者が増え、家族を捜し続ける人も増えるだろう。そうした状況の中で自分にできることがあるにもかかわらず、手を貸さないで逃げてしまう。本当にそれでいいのか。そんな自問を繰り返すと、最終的にはやはり逃げてはいけないのではないかという考えに至り、次も案件が回ってくればつい引き受けてしまう。その繰り返しだった。

 当初「祖父や父に負けない潜水士になる」という、いわば自尊心を満たすための自分本位な理由で引き上げを引き受けてきたようなところがあった吉田だったが、現場を重ねるうちに、容易に抜けきれない複雑な場所に絡め取られていくようだった。

 

 やめずに続けてきたのには、周囲の助けも大きかった。吉田の窮状を知った顔見知りの警官が現場で一緒になった時に、粋な計らいをしてくれるようになったのだ。

 「今回の人は保険に入っているみたいですよ」

 それはもちろん、本来は教えてはいけない捜査情報だったが、こっそりと教えてくれるようになったのだ。遺族が保険に入っていれば引き上げの費用は保険会社から吉田に支払われることになり、多少高かったとしても遺族が怒ってくることはほとんどない。反対に保険に入っていないことが事前にわかれば、払えもしない高額な請求を出す必要もなく、トラブルを避けることもできる。引き上げの請求金額は吉田の胸三寸ということもあり、お金を出せそうな人から取る、ない人からは取らないということがある程度できるようになってきたのだ。それによって遺族との無用なトラブルを避けることができるようになってきた。

 警察がそのように秘密裏に吉田を手助けしてくれたのは、何年ものあいだ遺族の借金の肩代わりをしてきたことや、両親を亡くした子供たちに入学祝いを届けたりした吉田のことを見てきたからだった。

 とはいえこうした一部の警察官の計らいもまた、吉田に手を貸したというよりは、埋め合わせの意味合いが強かったかもしれない。そもそも吉田の赤字を織り込み済みで依頼を続けていたのは警察の方だったからだ。

 

 ただ、吉田が辛い捜索活動を続けていこうと思えたのは、最終的には遺族から感謝された数少ない体験が心に残っていたからだった。とりわけ吉田が辞めようと思った時にいつも思い出される一つの引き上げの現場があった。

 それは捜索に携わるようになってから五年ほどが過ぎたときのことだった。名取市閖上(ゆりあげ)の防波堤の先端で鉄道公安官が海に落ちた。自死だった。警察が一丸となって捜索したが、 結局見つけることができなかった。そこで知り合いだった閖上の派出所の警官が吉田に声をかけ、捜索を依頼してきたのだった。

 現場の様子を聞いてみると、亡くなった男性は靴、遺書、バッグといった遺品が置かれていた場所から、テトラポットから海に飛び込んだと推定された。折り重なるテトラポットの中に入り込んでしまったか、あるいは沖の方に流れていったか、両方の可能性があった。

 昼間は警察と行方不明者の家族が総出で捜索をしていたが、夜になると波打際は危険もあるため、捜索は一旦打ち切りになった。だが吉田は昼の捜索が打ち切られた後も、ひとり懐中電灯を片手に暗い閖上の海岸を探し続けた。

 夜も一人で捜索を続けたのは、過去に同じようにテトラポット付近に落ちてしまった人を夜のあいだに見つけ出したことがあったからだ。吉田はその時、夜間の満潮から干潮へと向かう時間に海にペットボトルを投げ入れ、潮の流れを見極めたことで発見に至ることができた。もし翌朝まで待っていたら水位は再び上昇し、遺体は水に沈んで見つからなかったに違いなかった。

 そのこともあって吉田は再び、一人夜の岸壁で潮の流れを読むことにしたのだ。捜索二日目の夜、吉田に捜索を依頼した閖上派出所の斉藤という警官とたまたま一緒になり、共に岸壁を見回ることになった。

 「吉田さん、いつもこういうふうにしてるの?」

 斎藤は吉田が昼だけでなく夜も捜索を続けていることに感心したようだった。吉田は家族の替わりに探すので、家族だと思って探すことにしていると話した。それは吉田にとって捜索を始めた時からごく普通に行なってきたことだった。すると斉藤は感激したようだった。

 三日目になると、沖の方で空から捜索を続けていたヘリコプターが海面に浮いていた遺体を見つけた。吉田が直接見つけたわけではなかったが、放射状にヘリコプターを飛ばすように提案を出したのは吉田だった。

 無事に回収が済むと、遺族に「通夜をするので来て下さい」と呼ばれた。通夜の場所で捜索費用を渡すから来てほしいとのことだった。

 行ってみると、控え室に遺族親戚一同が集まっていた。吉田は挨拶をした。

 「力及ばず自分の力で見つけることができなくて申し訳なかったですが、最終的に見つかってよかったです」

 すると集まっていた親族は口々に言った。 

 「話しに聞きました」

 「吉田さん、夜中まで探してくれていたんですね。斉藤さんから聞きました。我々家族、親戚でも夜まで探すことはなかなかできません」

 「これは私たちの気持ちです。受け取って下さい」

 思いがけず分厚い封筒を渡された。どうやら夜のあいだも捜索を続けていたことが、たまたま警察官の斉藤に知れ渡り、斉藤の口から遺族にも知れ渡ったようだった。吉田が捜索費用として請求額はカメラのレンタル代も含めて二十万円に満たなかったが、遺族たちが吉田の捜索の姿に心打たれたためか、渡された金額は百二十万円だった。

 吉田は嬉しくなった。請求書の額面よりも多くの金を渡されたのは、後にも先にもこの時だけだった。予想外の金が入ってきたことは、金銭的に不安定だった当時の吉田にとってありがたいものだった。だが、それよりも嬉しかったのは人の見ていないところで捜索を続けてきたことが、人に伝わり、やがて意外なところで評価されたことだった。

 「これこそが人間だ」

 長い苦労が報われた気がした。その感動は吉田にとって少なくない意味を持っていた。それまでの捜索では遺族の理解を得られないことや、逆に「人の足下を見て金だけ取っている」と罵られることさえあった。もっと若い頃に遡れば、父親に「できの悪いやつだ」と言われたり、先輩作業員から不当にこき使われてきたことも少なくなかった。知らぬ間にどこかで人間そのものに対する不信感を抱え続けてきた吉田にとって、初めて自分が人として認められたような気がしたのだ。それは心の底からやりがいが沸き上がってくるような、晴れやかな瞬間だった。

 その出来事は同時に、吉田が小さい頃に学校の図書室で読んだ、ある物語を思い出させたりもした。それはこんな物語だった。ヨーロッパのとある国の公園に、きらきらと光る小さなものが落ちている。あるおじいさんがそのきらきら光るものを拾っては、ズボンのポケットに入れる。おじいさんはそれを毎朝繰り返す。あるときその姿を見た警察官が不審に思い、問いただす。「何を拾っているのか?」おじいさんがポケットの中身を見せると、ガラスの破片が出てくる。「遊んでいる子どもたちが危ないから拾っていたんだよ」とおじいさんが明かす…。人知れず善行を積んでいたおじいさんに、吉田は少しばかり近づけたような気がしていた。

 吉田は遺族からもらった金を封筒に入れたまま、神棚に置いてしばらく使わないでおいた。額の大きさ以上に、人の思いがこもった大切なものに思えたからだった。

 

 以来、いつしか吉田は引き上げを天職だと思うようになっていた。トラブルや借金も多く、その意味では必ずしも割に合う仕事だとは思えなかった。人助けをして損をしてしまうという、奇妙な状況も続いていた。だが一方で自分にしかできないことを続けているという、確かな手応えのようなものも感じていた。

 借金に関しては、開き直るような気持ちも芽生えていた。警察が保険の加入者を教えてくれることが多少の助けになっていたとはいえ、赤字は確実に増えていた。もはや護岸工事などの別の案件の収入で生計を立てて穴埋めしていくより他に方法はなかった。そしてもし、それで立ち行かなくなるのであれば、「そのときはそのときだ」と腹をくくるようになってきていた。

 

 

 

 

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 吉田の生命観も徐々に変化していた。残された遺族に対する同情だけでなく、死んでしまった当の本人たちに対しても同情を寄せるようになっていた。それは若い頃の吉田からは考えられない、正反対の態度であると言ってもよかった。

 遺体の引き上げを始めた頃、吉田が自殺者に対して抱いていたのは怒りに近い感情だった。人は死ぬ気になれば何でも出来るはずだ、自ら死んでしまうなんて精神的に弱かったのだ。簡単に諦めて死ぬなんて情けない、だらしないとさえ思っていた。そうした弱者を見下した態度は、若さからくる傲慢さや驕りによるところが大きかったかもしれない。少なくとも若かった吉田には自ら命を絶ってしまうという選択に何の共感もできなかった。

 だが引き上げの場数を踏むうちに、いつしかその思いも大きく変わっていた。三十三歳の時、ある男性の引き上げを依頼された。その男性は五十代に差し掛かろうというところで、板金や塗装の仕事をしている人だったが、仙台港の雷神埠頭から海に飛び込んで死んでしまった。

 吉田はいつものように現場に潜って車のナンバープレートを確かめ、車と男性を引き上げた。だが、現場に妻や息子が到着するや、彼らは意外なことを言った。遺体を引き取らず、無縁仏にするというのだった。それまでの幾多の引き揚げでもせっかく吉田が引き揚げた遺体を引き取らないという遺族はただの一人もいなかった。

 どうして引き取らないのかと訊ねると妻が言った。

 「死んだ夫は生前、家族に相当な迷惑をかけたから、こんな人はいらない」

 会社の経営が厳しくなってきて借金取りに追い立てられ、この人のせいで苦労したんだ、と。それは吉田にとって聞き捨てならない言葉だった。死者を鞭打つような妻の物言いには、どこか夫を見下すようなものが含まれていたからだった。

 「そうかもしれないけど、いい時もあったでしょう」

 すると今度は息子が言った。

 「いい思いをしたときは一度もありませんでした」

 吉田は遺体を引き取ることを強く勧めたが、二人は引き取らないと主張し続けた。妻は遺体に向かって罵声を浴びせさえし、まだ若い息子の言い草からも育ててくれただろう父親への恩義が感じられなかった。

 吉田はついに頭にきて喧嘩腰になった。

 「あんたたちにしてみれば、旦那さんやお父さんにあたる人でしょう。遺体を引き取らないってどういうことなの。悪いときだけではない、いいときもあったでしょう」

 すると「あんたに何がわかるの」と妻はまくし立てた。ついで警察が「まあまあ、吉田さん」と仲裁に入った。吉田は納得がいかなかった。生前迷惑をかけられたとしても、涙の一粒くらい流れないものだろうか。あるいは少なくとも黙って遺体と一緒に帰ることぐらいできないものだろうか。

 作業を終えて片づけをして帰ろうとすると、港湾事務所の人が声をかけてきた。吉田が海中から引き上げたバッグの中から遺書が出てきたとのことだった。その遺書によれば、亡くなった男性は会社が倒産して資金繰りに行き詰まり、自殺するから保険金で借金を返してくれというかたちで自殺を図っていた。また、保険金の残った分はみんなで分けて欲しいと。うまくやれなかったせいで周りに迷惑をかけたという謝罪もあった。

 吉田には、板金屋の男性が不憫でならなかった。取引先に頭を下げ、家族のために一生懸命働き、最後は家族のために自ら命を絶つ。少なくとも、男性のなけなしの努力がなじられるいわれはないはずだった。

 

 吉田はそれまでにもたくさんの人の最期の表情を見てきた。それらの中には実に様々なものがあり、苦しんで亡くなった人もいれば、目をかっと見開いている人もいた。あるいは口から嘔吐しながら亡くなった人や、半分脱が脱げている人もいた。

 改めて引き上げた板金屋の男性の顔を思い返すと、その顔には苦しんだあとがなかった。軽く目を閉じ、透き通ったようなすーっとした表情だった。それは生きているあいだに疲れ果ててしまい、死んでようやく楽になったという表情に思えた。だがその男性も家族に引き取られなければ、沈んだ車の座席で白骨化し、やがて朽ちていってしまう…。

 そうなれば男性はいったい何のために生き、何のために死んだのかさえわからなくなってしまう気がした。生前恨まれていようが、最期くらいは自分が引き揚げて陸に戻してやろう。自分にはそれができるのだから…。

 かつて自殺者を見下していた吉田は、いつしか死者の番人のような気持ちになっていた。

 

 5

 

 

 吉田が不遇の板金屋の男性に同情を寄せたのは、ある意味で自分自身も同じ経営者として苦境に立たされていたからかもしれない。不況の波は建設業界にも押し寄せ、元請け企業の業績が悪化し、そのしわ寄せが下請けである吉田の会社にも巡ってきつつあった。「若く生意気な成功者」は過去のものになりつつあった。

 その頃吉田は元請けの会社から仕事をもらい、吉田の会社がさらに別の下請け会社に発注を出すという具合に、中間会社としての位置を保っていた。しかしある時、吉田の会社が三千万円で請け負っていた案件について、元請け業者が大幅な値下げを要求してきた。元請け業者も赤字で苦しんでいたためだった。

 吉田としてはのめない条件だったために、突っ撥ねると「おめえのところなんて、本当は五百万くらいでいいんだから、せめて二千万にしろ」と相手も強気に出てきた。それまで元請け業者にだけは逆らったことのなかった吉田だったが、この時ばかりは足元を見られているような気がした。

 そのまま契約を破棄され、不当な値段で買い叩かれることを恐れた吉田は、悩んだ挙句、ある策を講じた。次に元請けの社長に会った時にこっそりと会話を録音したのだ。もし元請けが脅迫してくるようなことがあれば、発注元の県に「契約違反だ」と掛け合うための証拠として提出するためだった。身を守るための苦肉の策だった。

 しかしこっそりと録音した次の日、吉田はその元請けの社長からちょっと話があるからと呼ばれることとなった。

 「お前、録音したんだってな?」

 どうしてバレたのかと、吉田が青い顔をしていると、社長は知るはずのない事実をいくつも突きつけてきた。  

 「〇〇から金借りてるんだってな。なんぼなのや?」

 試すような聞き方だった。吉田はしどろもどろになりながらなんとか切り抜けたが、「これは全部知られているな」と思った。おかしい。誰が漏らしたのか。

 録音の事実を知っているのは、吉田の父親を除けば、下請け会社の社長と事務員の女性しかいなかった。吉田は下請けの社長に電話して問い詰めると、歯切れの悪い返答があり、その後は電話にすら出なくなった。

 どうやらその下請けの社長が元請け会社に吉田の会社の情報を逐一漏らしているらしかった。吉田の元請け業者への不満や愚痴から会社の財務状況に至るまで、全て筒抜けになっていた。しかもよくよく調べてみると、吉田の会社の事務員の女性が下請けの社長と不倫をしていたらしく、情報の出処はその事務員の女性らしかった。

 気がつけば自分が雇った事務員の女性と、仕事を割り振っていた下請けの社長に裏切られたかたちになっていた。吉田の会社の経営がうまくいっていない時期を突いて吉田に不利な情報を流し、出し抜いてやろうということだったようだった。

 傾きつつあった吉田の会社にとって、これが実質的なとどめの一撃となった。密かに録音していたことで元請けの信頼をなくし、仕事を切られることになった。それによって会社全体の仕事の七割くらいが消え、社員の給料を支払うだけの仕事が取れなくなってしまった。社員は次々と辞めていき、あろうことかそのうち何人かは、裏切った下請け会社に流れていった。だが誰もが家族を抱え食っていかねばならないことを考えれば、それもやむをえなかった。

 会社に自分一人だけが残った時、文字通り吉田は孤独と猜疑心の中にあった。脇が甘かったといえば甘かったかもしれない。ただ信用できる人間はいつの間にかいなくなり、周りには敵しかいないように思えた。

 「この世はクソだ」

 吉田は何もかもが嫌になっていた。

  

 仙台港の岸壁から飛び込んだ板金屋の男性がそうであったように、破産が近づきつつあった吉田にとっても残されたものはそう多くはなかった。財産のほとんどを失い、夢や目標もなくなってしまった。それだけでなく、他人を信じるという、ある意味で人間の豊かさの根源的な部分でさえも、徐々に失われていようとしていた。

 暗く荒んだ気持ちだけが残った。それは個人的な人間関係にも影を落とした。その頃、吉田は美香という若い女性と付き合っていたが、会社が傾くとともにその関係も破綻に向かいつつあった。

 美香は吉田が以前生活のためにダイビングのインストラクターをしていた頃、生徒としてクラスに入ってきた、いわば教え子の女性だった。まだ二十歳そこそこの若さだったが、この頃までにすでに吉田と二年ほどの交際を続けてきた。しかし借金が多くなるにつれ、吉田もこのまま関係を続けられるだろうかとぼんやりと考えるようになっていた。 

 その関係に破綻が訪れたのは、美香の妊娠がきっかけだった。吉田としても予期せぬものだった。もちろん女性を妊娠させたことがわかったとき、責任を取って結婚するという考えは吉田にもあった。だがこのときに限って言えば、そのまま美香と結婚して一緒になるということは考えられなかった。会社が傾きつつあり、吉田はすでに数億円の借金を背負っていた。 

 自分自身だけでさえどうなるかわからない中、新しく家族を養っていくことなどまったく想像できなかった。それにまだ若い美香がわざわざ破産しつつある男と一緒になって、苦労する意味もない。大変な思いをさせるくらいなら、別々の人生を選んだ方がいいのではないか…。

 「このままではうまくいかないし、共倒れになってしまう」

 吉田は美香に、実家に帰るように言った。「落ち着いたら迎えに行くから」と言えればよかったが、あいにくそのような言葉もかけられなかった。そのときの吉田は自分が将来的に持ち直すということを想像することができないところまできていた。

 破産しつつあることも美香にはあえて詳しく説明しなかった。詳しく話せば、身を乗り出してきて、「それでも一緒に頑張って暮らそう」と言いかねなかった。かわりに吉田は曖昧な説明をしたが、当然それで美香が納得するはずもなかった。「どうしてなの」と押し問答のようになった。最終的に吉田はほとんど自暴自棄のように「もう好きな気持ちは無くなった」と一方的に別れを告げた。身勝手な別れだった。

 申し訳なさでいっぱいになった。借金を抱えながらも、信念を持って引き上げを続けてきた吉田だったが、気持ちだけではどうにもならない壁にぶち当たっていた。人生のどん底にいるのだなと吉田は思った。そしてそこから這い上がっていく糸口はどこにも見当たらなかった。

 

 人の人生に四季の移り変わりのようなものがあるとすれば、吉田が叔父と無邪気に釣り糸を垂れた少年時代は春であったに違いない。仕事を覚え、会社を拡大させてきた二十代は夏の盛りであったかもしれない。だが、いま吉田の人生を彩っていたはずのさまざまなものが失われつつあった。それは先の見えない冬が訪れつつあることを意味していた。

 

 

 

 6

 

 それから半年も経たないうちに吉田の財産は底を尽き、実質的な破産が近づいていた。三十七歳の時のことだった。それまでに行ってきた百以上の引き上げの現場で遺族から支払われなかった借金の肩代わりが四千万円にまで膨らみ、その他に回収できなくなった設備投資の赤字が二億円以上あった。

 はじけたバブルの余波は建設業界全体を覆い、仕事が激減していた。予定していた工事の案件も少なくなっていた。吉田が請け負っていた港湾工事のほとんどが公共工事だったが、それらの中には建設途中で作業がストップしてしまったものもあった。思うように仕事は取れず、吉田だけが残った会社はにっちもさっちもいかなくなった。いよいよだなと思った。

 

 最後に残ったなけなしの金は、吉田が次男の高校入学の資金としてひそかにとっておいたものだった。その頃、長男は吉田と折り合いがつかなかったこともあり、吉田の実家である祖母の家で暮らし始めていた。離れて暮らし始めてからすでに三年ほどが経っていたため、長男との往来は少なくなっていた。

 一方の次男は吉田の元に残り、将来潜水士を志そうとしていた。その次男が進学先として選んだ高校は、奇しくも吉田が通った岩手県の種市の潜水学校だった。高校を出れば潜水士の資格を取り、手に職をつけて仕事ができる。そうすれば次男としてもこの先食いっぱぐれることはないだろう。その意味では次男を高校のある種市の下宿に送り出せば、吉田も肩の荷が降りるという気がした。

 

 東北の遅い春がやってこようという朝、吉田は車のトランクにステレオや本や布団を詰め込み、助手席に次男を乗せて北へと車を走らせた。次男を下宿先の種市へ送り出すためだった。学費と仕送りを渡すと、もうあとは帰りのガソリン代があるかどうかというくらいだった。

 海沿いの道を走るあいだ、吉田はカーステレオにCDを入れ、流行りのポップチューンを流した。軽やかなダンスビートに少しばかり物憂げな和音を乗せた、ケツメイシの「さくら」という曲だった。次男が好きだと言っていた曲で、吉田もまた気に入っていた。

 

 さくら舞い散る季節に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる

 吹き止まない春の風 あの頃のままで

 

 ヒュルリラ ヒュルリラ

 花びら舞い散る 記憶舞い戻る

 

 石巻を出て、国道四十五号線を北上し、気仙沼を通り、岩手県に入って釜石、宮古を過ぎる。種市に入ると、海沿いをひた走る県道247号線沿いの町並みは、吉田が高校生だった頃とほとんど変わっていなかった。潮風に揺れる松林の中をアスファルトの白線が曲りくねり、JR八戸線の踏切を越え、緩やかな坂を登ると木立の向こうに海が見える。漁師たちの小さな船や岸壁に干された網や、うす汚れた黄色い浮き。軒先に野菜を並べたスーパーマーケットや、通い慣れた理容室の回転灯。それは当時の吉田にとって、眠たくなるような退屈な港町の風景だった。しかし二十年近く経って再びその景色の中を走ってみると、ある種の懐かしさとともに風景は不思議な立体感を帯び始めた。 

 

 かつて吉田が通っていた種市高校はJR八戸線の平内駅という無人駅からほど近い場所にあった。平内駅はこれ以上はないという田舎の駅で、のっぺりとしたプラットフォームに雨よけの小さな待合室をちょこんと乗せただけで、ジュースの自販機一つすらなかった。朝の通勤通学の時間を過ぎると、夕方の帰宅の時間までに通る電車はわずかに二本のみで、数少ない電車を逃すとそのまま歩いて下宿まで帰るよりほかなかった。

 夜になるとわずかな街灯と家々の慎ましい明かりだけが細々と灯る。それらを除けば他に町とわかるようものは何もなかった。当時の吉田は、「とんでもない田舎に来てしまった」と思ったものだった。

 下宿ではまかないがついた。だが日曜日だけは下宿のおばさんが休みだったため、食事が出なかった。そこで主人に頼んでどんぶりご飯を150円でよそってもらい、鯖の水煮缶を開け、「緑のたぬき」を腹に流し込むのが定番になった。

 冬には凍てつく風が町を吹き付け、雪が積もると平屋だった下宿の窓は三分の二の高さまで隠れてしまった。こたつで温まっていても、コップの水が凍るほどだった。もっともきつかったのは風呂屋から下宿の部屋まで帰る間に、髪の毛がバリバリになってしまうことだった。そんな時、生まれた町を出て右も左も分からないまま「自分はいったいどこにきてしまったのか」と思ったりした。

 やがて春が来て空気が和らいでくると、少年吉田はなんとなく気分が良くなって学校までの一駅を歩いて通った。途中、まっすぐな砂浜に沿って進む道すがら、海を眺めるのが好きだった。杉の木立を潮風がさわさわと抜け、緩やかな坂を登ると梢の間から気持ちのよい太平洋に小さな漁船がゆったりと浮かんでいるのが見えた。

 

 「金もあまり送れねえだろうけど、なんとか頑張れ」

 

 道中、互いに口数も少なかったが、次男にそれだけは話しておこうと思った。「わかったよ」と次男の短い返事が返ってきた。これから新しい暮らしが始まるという時に、父親に破産が近づいている。中学を卒業したばかりの息子はそれをどう思っているのか、本当のことはわからなかった。ただ吉田の頭の片隅にはいつもどこかで「埋め合わせ」のことがあった。

 吉田には、自分が離婚してしまったために、息子達の人生から母親というものを奪ってしまったという気持ちがあった。表立って語ることはあまりなかったが、それは少なく見積もっても引け目のような感情だった。

 長男に限って言えば、祖母である吉田の母親から「お父さんはあんたを捨てて、女の人を取ったんだ」と言われて育っていた。そのようなつもりはなくても、吉田にはそれを否定できるだけの言葉は見つからなかった。

 その長男がいつしか自分よりも祖母になついていったことが、なおさら吉田と長男の関係を微妙なものにした。その反動からだろうか、思春期を迎えた長男が「祖母と暮らす」と言って家を出て行こうとした時、吉田は剣幕で怒ったことがあった。

 「お前の親は俺なんだぞ」

 ただ、長男に放たれたその言葉は、かつて吉田自身が母親から浴びせられた言葉と同じ響きを持っていたかもしれない。吉田が若い頃「家を出たいから金をくれ」と母親に申し出た時、母親は凄みを効かせるように言った。

 「あんたの親は誰なのや?」

 同じ言葉が時を隔てて吉田の口から放たれ、残響のように長男に跳ね返っていったと言えなくもなかった。

 

 いずれにしても吉田にしてみれば、複雑な家庭事情の発端は母親との確執にあった。いや、全ては母親のせいであるとすら言い切りたかった。事実、吉田は二十代という若い時期の大半を母親と戦い、その呪縛から逃れることに費やしたと言ってもよかった。

 結婚してからも母親に金を取られ続け、自立もできず、実家でのいさかいが絶えなかった。自分なりに不条理に抗ったものの、望まぬ結果として離婚せざるをえなくなり、ある時は息子たちを置いてひとり家を出ざるをえなかった。それらは若い日の吉田にとって、その時々のなけなしの選択であり、それ以外に選択肢はなかったはずだった。にもかかわらず、息子たちが大きくなり、母親のいない彼らの人生が五年、十年と重みを帯びてくるにつれ、それさえも言い訳のように思えてくることがあった。

 吉田は息子たちの人生の欠落をどうにか埋めようと考えたこともあった。だが、実際何をすれば良いのかというと、答えは簡単ではなかった。自分が母親の代わりに家にいて優しく面倒みるかといえば、それはできない。祖父母のように遊びに連れて行くかといえば、それでは誰が金を稼ぐのかということになる。結局それは埋めようのない欠落であり、自分は父親以外ではありえなかった。父親として仕事に打ち込み、金を稼ぐことしかできないのだという思いに至った。だが破産が近づき、その金さえも簡単には稼げなくなった今、残った金で息子を高校に入れてやるのが精一杯だった。いったい、自分は父親としてどれほどの「埋め合わせ」ができただろうか。

 一方で、吉田自身がそうであったように、結局は次男もなんとかなるだろうという思いもあった。潜水の学校を卒業して手に職をつければ仕事ができるようになる。そうすれば金も稼げるし、結婚だってできる。

 その意味では、破産しつつあるとはいえ、こうして息子を送り出すことができたことで、最低限の帳尻をなんとか合わせることができたのではないか、と。

 

 旅の最後に、吉田は種市の街中にあった前妻の実家と、彼女が暮らしていたアパートを足早にたどった。次男の母親のゆかりの地を見せようと思ったのだ。吉田にしてみれば一緒に東京へ駆け落ちをするための話し合いを重ねた思い出のアパートでもあった。だがもちろん次男に余計なことは伝えなかった。ただ「ここがおめえの母ちゃんの家だ」と言っただけだった。

 次男は母親のことをほとんど知らないはずだった。一歳になるときにはすでに離婚していて、母親の面影は記憶にないはずだった。次男が母親のことをどう思っているのかは、吉田にはわからなかった。ただ、時が来れば母親に会いに行くことがあるかもしれない。その時のために場所だけでも伝えておこうと思っていた。

 

 

 7

 

 

 それから半年の間に書類を揃え、事務手続きの準備をし、秋になる頃に正式な破産の届出を出した。弁護士を雇い、会社と個人の両方の立場において裁判所に申し立てた。やがて手続きが進められ、管財執行官がやってきて、吉田の財産のうち、金になりそうなものに次々と赤い札を貼っていった。

 あらゆるものが没収されていった。石巻にあった築十年に満たない一軒家と土地、潜水作業船五隻、車が五台、事務所の土地と建物、潜水用具、有価証券をはじめ、テレビ、電子レンジ、電話の加入権など、売って金になるものは全て持っていかれた。それらは国民政策金融公庫、宮城県信用保証協会、銀行などに返すために現金化されていった。

 吉田に残されたのはスキューバダイビングの用具一式、ボンベ一本とドライスーツ、レギュレーター、ハーネス、フィン、マスク、それから中古のトヨタのクレスタが一台だった。それらは全て、古すぎて差し押さえ執行官から金銭的価値のないものと判断され、辛うじて手元に残ったものだった。潜水用具と中古の車が残されたことは、吉田にとって不幸中の幸いであった。それさえあれば、仕事を引き受け、その日その日を何とか凌ぐことはできるかもしれない。

 とはいえ翌日からの仕事のあては何もなかった。どこかに勤めようか、それとも住み込みでアルバイトでもしようかと考えたりもした。いずれにしても家を追い出された吉田には、行く当てがなかった。もちろん、あの忌々しい母親のいる実家に帰るつもりは毛頭なかった。仕方なしにしばらくは車の中で寝泊まりすることにした。金はポケットや車の中からかき集めた千円ばかりがあるだけで、来月の携帯電話の支払いができなければ、電話も止められてしまうという状況だった。

 コンビニでタバコとパンをいくつか買うと、残りは四百円ほどになった。昼間は車の中で眠ったり、本屋で立ち読みながら何とはなしに時間を潰した。季節はもう冬になろうという頃で、夜は寒くエンジンをかけなければならなかったが、運良くガソリンだけは満タン近く残っていた。

 なんの見通しもないまま路上に放り出された吉田だったが、不思議と心のどこかに一片の晴れやかさもあった。よくよく考えてみれば、自分はこれで色々なものから解放されたのだなと思った。それまで社員のため、家族のためにと会社を大きくしてきたが、もはやその必要もない。

 吉田の父、浩のことも重荷に感じていた一つだった。吉田が高校を中退して最初に就職したのは、当時浩が働いていた潜水会社だったが、吉田は喧嘩をして飛び出すように辞めてしまった。そのせいで浩も会社にいづらくなり、程なくして辞めざるをえなくなった。その時浩は「お前のせいでこうなった」と吉田をなじった。

 技術者としての潜水の腕前はピカイチだったが、朴訥で職人気質だった父は、話をつけて仕事を取ってくるという営業には向いていなかった。そのため、そのまま吉田の作った会社で潜水士として再び共に働くことになった。そして今、その会社が潰れると父はまた「会社を潰したのはお前だ」となじったのだ。要するに全部俺のせいにしたいのだろう。そんなうんざりするような父親の口癖も、もうこれで聞かなくて済む。

 もう誰のために稼ぐこともない、自分のためだけに生きればいいのだ。そう思うと、ある種の清々しさのようなものさえこみ上げてきた。十代で働き始めてから二十年が経ち、初めて味わうからっぽで自由な時間だった。

 

 車で寝泊まりするようになって三日目の夜に、港湾事務所から電話があった。仙台港湾に人が落ちたので引き上げてほしいという連絡だった。それは息を呑むような知らせだった。

 「食いつなげるかもしれない」

 そう思った。人が死んだことによって自分が食いつなげるかもしれないという考えに、不謹慎だという気持ちは全くと言っていいほど起きなかった。目の前の飯をどうするかで精一杯だったためか、それとも罪悪感を覚えるほどの純粋さはどこか遠い昔に置いてきたからか、それは定かではなかった。いずれにしても引き上げの依頼は、吉田にとっての貴重な生命線に違いなかった。

 とはいえ、その依頼がすぐに吉田を救うとは限らなかった。一家心中などのパターンでは支払いがされないケースが多く、吉田はそれまでに何度も踏みたおしを経験してきた。何より、落ちた人の身元が分からなければ、家族に連絡の取りようもない。状況を確かめなければならなかった。

 「落ちた人の身元もわかっていまして、家族も現場に向かっていますよ」

 電話口の声は、即金を手にできる可能性を示唆していた。うまくいけばこの状況を切り抜けることができるかもしれない。吉田は心の中でガッツポーズをした。

 ただもう一つ気になることがあった。潜水に使うボンベの残圧が極端に少なかったのだ。当時、潜水用のボンベに一度空気を入れると千五百円かかったが、もちろんその金もなかった。車の荷台に積んであったボンベの残圧は確か百気圧を切り、八十気圧あるかどうかというところだったはずだった。それはボンベ一回分の三分の一くらいしか残っていないことを意味した。一度ボンベを満タンにすると約五十分潜ることができたが、その三分の一では長くても二十分の作業が限界だった。

 作業時間が極端に短くなるという危険が頭をよぎったが、これを逃せば次のチャンスはいつになるかわからない。断るという選択肢はなかった。吉田は破産のことなどまるでなかったかのような素振りで即答した。

 「わかりました。行きますよ」

 潜水の常識からすれば、無謀に近い選択だった。残圧三分の一で潜るなど、警察、消防、保安庁などの基準ではまず行なわれない。あまりに危険であり、作業の安全基準からも大きく外れるものだからだ。その意味では吉田がたった一人のフリーランスであったからこその強引な力技だったと言えた。

 ただ吉田にも少ない空気を節約するための考えはあった。遺体の引き揚げ作業は緊張が高まり、どうしても呼吸が速くなってしまう。それは一般的な潜水よりも空気の消費が激しいことを意味する。だから空気の節約に関しては普段から人並み以上に気を使ってきた。

 通常、潜水における呼吸では大きく吸って大きく吐くのがセオリーだったが、吉田が長年の間に編み出した呼吸法は少し違うものだった。呼気と吸気に対してそれぞれ、吐いて五秒、吸って十秒という間を置く。それに伴い、身体の動きもゆっくりとしたものに合わせる。すると自然と空気の消費量を抑えることができた。この方法を使えば少ない残圧でもなんとか作業を終えることができるのではないかと考えたのだ。

 

 吉田はコンビニに行き、持っていた四百円のうち、二百円で印紙を買った。そして百円ショップに行き、残りの二百円で領収書と印鑑を買おうとした。しかし、本体価格にかかる消費税が払えなかった。車の隅々までひっくり返して小銭を探し、服のポケットを調べたが、一円も出てこなかった。しかたなく、ドンキホーテに行き、レジ脇の「ご自由にお使いください」と置かれた小銭の中から消費税分を足して、やっと購入することができた。

 現場に到着し、立入り禁止の黄色いテープの中を警察に誘導され、夜釣りのギャラリーを掻き分けて岸壁に着くと、吉田はいつも通り準備に取り掛かった。

 圧縮空気ボンベ、ドライスーツを着て、ボンベにハーネスとレギュレーターを装着し、目標物を特定する。さらに十キロのショルダーウェイトを肩に背負い、腰にも8キロのウェイトを装着した。そして最後にフィン、フード、マスクをつけると静かに飛び込んだ。

 水中ライトを照らしながら潜っていくと海底に逆さになった軽自動車があった。運転席には男性が一人座ったままの格好でうつむいていた。シートベルトを締めていたためなかなか引き出すことができず、クレーンで車ごとあげることになった。

 時間がないという焦りの中でやや手こずったものの、二十分後には作業を終えることができた。普段であればボンベの残圧が五十を切ったら上がってこなければならないが、吉田が岸壁に上がる頃には残圧は十五くらいになっていた。それはもう数分で空気がなくなってしまうことを意味していた。

 

 岸壁の上には男性の家族が来ていた。話を聞くと男性は保険に加入しているようだった。それは吉田にとって、小躍りしたくなるような事実だった。吉田が請求金額を決めるときのひとつの目安が、相手が保険に入っているかどうかだったからだ。保険に入っていない場合は遺族自身が費用を負担することになるため、最低限の請求にとどめたが、保険に入っていれば、事後的に保険会社が負担することになる。そのような場合は吉田としても遠慮なく請求をかけることができた。家族は翌朝、港湾事務所にお金を持ってくるとのことだった。 

 その夜、吉田はガソリンの少なくなった車を港湾事務所の傍の公園の駐車場に止め、夜を明かした。海に潜った後、シャワーを浴びることができなかったため、髪の毛もごわごわになっていた。寒い夜ではあったが、仕事をやり終え、金が入ってくるという安堵から、すぐに深い眠りにつくことができた。やがて夜が空け、港湾事務所が開く頃に遺族がやってきた。

 手渡しで現金七十二万円が支払われた。そのうち諸経費でクレーンや廃車用のトラック、廃車料などの諸経費で十四万ほどが出て行ったが、それでも手元に五十万近い現金が残った。引き揚げの案件のうち、七割以上を支払い不能で踏みたおしにされてきた吉田にとって、この日たまたま現金を手にできたことは幸運といえた。

 吉田はその足で牛丼屋に行き、「つゆだく」にみそ汁をつけて食べ、風呂屋に行ってごわごわの髪の毛を洗った。なんとか生きていけそうな気がした。同時に吉田は、中学生の頃に叔父に言われた言葉を思い出していた。

 「失敗しても命までは取られるわけではない」

 破産して金や物を持っていかれても、命や潜水士としての技術までは持っていかれなかったのだなと思った。叔父が亡くなってから、十年が経っていた。

 

 

 8

 

 

 破産し、路頭に迷っていた吉田に救いの手を差し伸べたのは、一度別れていた恋人の美香だった。その頃、吉田に別れを告げられた美香は、実家に戻って男の子を産み、育てているところだった。吉田とはほとんど連絡を取っておらず、子供が生まれた時に報告のメールをやり取りしたきりだった。 

 車の中で過ごすようになってから数日、吉田は久しぶりに美香からの電話を受けていた。

 「いま仕事なの?」

 「いや、違う。会社がなくなって車で寝泊まりしてるんだよね。住むところがないからね」

 会話は自然と吉田の破産の話になった。美香は吉田の会社が傾きつつあることは知っていたが、よもや車の中で寝泊りしているとは思わなかった。詳しく話を聞いていくうち、美香は路頭に迷ってしまった吉田のことが不憫に思えてきた。それは借金を背負いながら他人の遺体を引き上げ続けてきた吉田のことを、かつて美香もまた近くで見ていたことがあったからだった。他人のために一生懸命働いてきたのに、倒産しても誰も助けてくれないのか。そんな悔しい気持ちになった。

 とはいえ、バブルの崩壊で吉田の会社以外にもたくさんの会社が倒産しつつあることもなんとなく聞いていた。無理なら無理で仕方ないかなという気もした。

「私の名義で部屋を借りればいいじゃない」

 吉田が住むところや身を寄せる場所に困っているということがわかった美香は、そう切り出した。当時看護師をしていた美香は、当面の間、少しくらいなら自分が生活費を稼いでもいいから、ということも話した。

 吉田はさほど乗り気でなかった。年下の女の人の世話になるのは男として格好がつかないと思ったからだった。だが「ありがたいな、いくらか運も残っていたんだな」という気持ちもあった。吉田には、他にこれといった選択肢もなかった。破産したばかりで保証人もなく、自力で部屋を借りられない状態だったからだ。今は美香に恩を借りておいて、後で何か別の形で返そうと思った。程なくして美香の名義で台原に家を借りることになったが、すぐに一緒に暮らし始めるということにはならなかった。

 身勝手な話ではあったが、家族のような背負うものができることが嫌だった。いや、美香だけでなく誰か人と会うこと自体が億劫になっていた。破産したことで覇気がなくなり、吉田の中で何かがしぼんでしまった。

 小さい頃から親にできの悪い息子だと言われ続けた吉田は、どこかで「自分は人より劣っているのではないか」という気持ちを抱えていた。それが「他の人には負けたくない」という虚勢を張ったような生き方にも繋がっていった。

 だがそうした反骨精神は会社を急拡大させて人をたくさん雇ったり、先代がやらなかった捜索の道を切り開くという産物をももたらした。それは自分のためだけでなく、常に別の誰かのためでもあり続けていたはずだった。

 しかし、一度破産してしまうと、吉田に手を差し伸べる人はほとんどいなかった。まるで潮が引いていくように、それまで付き合いのあった人も態度を変え、つきあわなくなった。

 破産後、二、三人の人が付き合いを続けてくれはしたものの、他の人は吉田のことを「大変だねえ」と傍観しているような気がした。心底うんざりして、もう誰とも深く関わりたくないという思いだった。

 だが美香はそんな吉田の元に足しげく通った。心配して食べ物を差し入れたり、時には少しばかり大きくなった息子を連れて見せにきたりした。そのうちに、美香の方から、一緒になってほしいと言われた。それを機に結婚することになり、三人で暮らし始めるようになった。吉田にとって四度目の結婚だった。「これで最後だろうな」と思った。

 

 美香は介護の仕事をし、吉田はフリーのダイバーをしながら生計を立てた。子供の世話は、昼間は吉田が面倒を見ていたりした。長男は母の実家で暮らし、次男は種市で下宿することになったため、吉田と妻、小さな男の子の三人の暮らしが始まった。お互いの仕事が重なってしまう時などは美香の実家に預けたり、託児所に預けてやりくりした。

 その頃吉田が請け負っていたのは調査や土木といった内容の仕事だった。時には潜水とは違った、保険の調査員などをすることもあった。引き上げの仕事の延長で、自殺なのか事故なのかということを調査するという仕事が回ってくることがあった。警察としても海の中のことはよくわからなかったこともあり、保険会社が調査を依頼してきたためだった。

 経済的には不安定な状態が続いた。ある時は財布に二千円ばかりが入っているだけで、あとは何もないということもあった。少し金が入ってきたとしても、すぐにそれで家計が楽になるわけではなかった。

 ただ貧しさの苦境に立たされている、という感覚はなかった。本当に今日、明日食うのに困れば、最終的には潜水士としてどこかの会社に勤めれば安定した収入を得られるだろうという思いはあった。実際にそのような話もなくはなかった。ただ、一度経営者として人の上に立ってしまうと、別の会社に勤めるのは嫌だなという思いがあり、フリーランスのまま仕事を続けていた。

 それに吉田は金のない暮らしをどこかで楽しみ始めている部分もあった。例えば食べ物を買う金はあっても、調味料を買うのはもったいないという時もあった。そんな時、吉田と美香は工夫を凝らして調味料を自分たちで作ってみたりした。

 「そういえば焼肉のタレってフルーツも入っているよね」

 「隠し味にリンゴでも絞って入れてみるか」

 もともと料理を作るのが好きだった吉田は、いろいろと工夫すればそれはそれで良いなと思えた。金がなく、ギリギリの生活をしていたことで美香には苦労をかけているという気持ちはあったが、それは別として吉田自身はそれまでに味わったことのない豊かな時間を感じていた。

 

 家族三人でしばらく暮らしていると、吉田は幸福な自分を意識するようになった。それまではがむしゃらに会社を大きくし続けた反面、手の抜き方も分からずに、とにかく仕事に没頭していた。何よりも、他人に負けたくないという劣等感が吉田の心を知らない間にすり減らせていた。

 しかし会社が倒産したことによってできたぽっかりと穴の開いたような時間が、思いがけず吉田に家族と過ごす時間の素晴らしさをもたらした。週末には小さな子供のためにちょっとした服を買いに行ったり、公園におにぎりを持ってピクニックに出かけたりした。あるいは子供が少し大きくなればボール遊びをしたり、動物園に連れて行ったりした。夏になれば家族揃って浜辺を歩き、次々に打ち上がる花火を見上げたりした。

 そうしたどこにでもあるはずの普通の週末は、吉田にとっても心休まる時間だった。それまでに三度結婚し、四人の子供をもうけていたが、そうした時間を味わうのは初めてのような気がした。吉田としてもふつうに過ごす家族との時間への人並みの憧れのようなものはあった。しかしなぜかそれまではそうした時間に恵まれなかった。

 

 吉田が美香と初めて出会ったのは、南三陸町の志津川でのことだった。その頃、吉田は土木のダイバーと引き上げの仕事に加え、志津川の青年の家でスキューバダイビングの講師をしていた。そこに知り合いの伝手でスキューバダイビングを教えてほしいという女性が二人現れた。そのうちの一人が美香だった。美香は当時まだ富屋町に住む女子高生だった。

 その時吉田はたった一日だけのインストラクターとして午前中に講義をし、午後はプールで実技を教えることになっていた。そしてその一日で当時のダイビングの四級のライセンスを与えることができた。吉田にしてみれば女子高生が興味本位でライセンスを取りに来たのだろうというくらいに捉えていた。

 だが美香はライセンスを取った後も「もう少し教えてほしい」と言った。ほどなく当時石巻に事務所を構えていた吉田のところに遊びにくるようになり、吉田が食事をおごるようなかたちで二人は会うようになった。

 

 当時高校生だった美香にとって、十六歳年上の吉田の話は新鮮なものに映った。水中で危険を伴う仕事をしていた吉田に、自分にできないことをしている人だという印象を持った。

 また、吉田は遺体の引き上げをしているということも包み隠さず話していた。もちろん美香はその話を聞いて驚いたが、反応としては「ええ?怖くないんですか」という程度のものだった。やはりどこか実感のわかないことでしかなかったのかもしれない。

 美香が吉田の引き上げの仕事について自分なりの実感を持つのは、のちに吉田とともに引き上げの現場に赴いたときのことだった。それは美香が高校を卒業し、仕事を始め、吉田の家に泊まりにいくようになったあるときのことだった。夜に人が海に落ち、吉田のところに引き上げの要請があったその日、美香は家で一人吉田の仕事が終わるのを待っているのは嫌だなと思った。

 そこで美香も車に乗って現場まで一緒に行き、車の中で吉田の作業が終わるのを待つことになった。美香は待っているあいだ車の窓から外を眺めたていたが、現場から少し離れて暗いこともあり様子はわかりにくかった。ただなんとなく消防や保安部が照明をたいてガヤガヤと何かを話しているのが伝わってきた。吉田たちが重機を使って車を引き上げている様子もなんとなく見えたが、落ちた人が上がる様子までは見えなかった。吉田の引き上げを含め、諸々の確認や手続きをしていると二時間くらいが経った。

 そのとき美香にはすぐ近くで人が死んでいるのだろうなということが理解できたが、それはどこか現実感のないものだった。それまでに目の前で人が死んでいるという状況に出くわしたこともなかったし、人の死体を見たこともなかった。だからだろうか、すぐ近くで知らない人が海に落ちて死んだからといって、悲しくもなく、現実感もなかった。

 反対に美香はその日、吉田の新しい一面を知った気がした。話に聞いていただけの遺体の引き上げという仕事を「本当にやっているんだ」という実感を持った。ああ、この人はこうやって夜中に呼ばれては海に潜って知らない人を引き上げてくるのだ、ということが腑に落ちた。美香にとっては知らない人の死の重さよりも、むしろ吉田という人間の仕事ぶりがくっきりと浮かび上がってくるような出来事だった。

 二度目に現場について行った時は、別のことを感じた。その時も同じく仙台港の高松埠頭だった。前と同じような夜の時間帯で、同じように車の中で吉田の作業が終わるのを待っていた。ただ、このときはより作業現場の岸壁に近いところに車を止めたため、吉田がひとり海の中に潜っていく様子もよく見えた。美香にとって、その日の作業が簡単なものか、それとも難しいものなのか、詳しいことはわからなかった。

 しかし程なくして警察や保安部の担当者たちがざわつき始めるのが窓越しに聞こえた。

 「なかなか上がってこないな」

 「いつもだったらそろそろ戻ってくるのに」

 それを聞いて美香も急に心配になった。「吉田さんだから大丈夫だろう」という話も聞こえたが、美香の不安は拭えなかった。

 その時、吉田は水中であわやという危険な場面に遭遇していた。逆さまになっていたワゴン車のトランクを開けようした拍子に、ドアがその重みで下がってきてしまい、吉田はそのドアの下敷きになっていた。海底の泥の中に埋もれ、どうにも身動きが取れなくなってしまっていた。フーカー式潜水であれば有線を通して水中から陸上の補助員とやりとりし、危険な状況を知らせることができたが、たったひとりスキューバ式潜水で潜っていた吉田にはその術もなかった。

 そうした事情を知るはずもない岸壁の上の人々はまったく動こうとしなかった。吉田の戻りが遅いことを心配しながらも、「まあ大丈夫だべ」と話しているのみだった。そんな様子を見て美香はだんだんと腹が立ってきた。心配しているのに、どうしてちょっと潜って様子を見てみようということにならないのか。元はと言えば、彼らが依頼してきたのに、どうして一緒に潜らないのか。岸壁には何人もの人がいるのに、なぜ潜っているのは吉田一人だけなのか。

 吉田は泥の中に半分埋もれながらも、もがいていた。ウェイトや空気ボンベを全部外し、レギュレーターだけをくわえた身軽な状態になると、海底の泥の中を滑りながらなんとか脱出することができた。上がってきたときには残圧が二十を切っていた。それは残りの潜水時間が五分を切るくらいの残量を意味していた。間一髪だった。吉田は遺体を無事に回収して事なきを得たが、美香の内心は穏やかではなかった。吉田の仕事がただ危険であるというだけでなく、何か不条理な人間関係の中で行われているように思えたのだ。

 

 結婚して一緒に暮らすようになると、美香にも吉田の仕事がどんなものかだんだんとわかり始めた。夜中に電話がかかってきて、急に現場に行ってくれということが何度も続き、心配にもなった。ある時は、吉田が海中に沈んだ車を引き上げようとして誤って車の中に閉じ込められて出られなくなりそうになったこともあった。また別の時は車にワイヤーを取り付けようとして、クレーンのフックを引っ張りすぎて両腕の筋肉を痛めてしまい、なぜか息をするだけで激痛が走るということもあった。そうした様子を傍目に見ていた美香は心配のあまり「引き上げの仕事を辞めたら?普通のサラリーマンでいいじゃない」と言ったこともあった。

 

 そうした物理的な危険に加え、吉田の努力が表立って評価されにくいということも美香には納得のいかない点だった。危険を冒して引き上げをしても遺族からの感謝がない時もあるし、感謝されたとしても赤字が積み重なっていく。技術料も支払われなければクレーンのお金も回収できないということもあった。

 あるいは警察の捜査に協力する時も、警察が表立って捜査の協力を要請してしまうとメンツが立たないため、吉田が通りすがりにたまたま手伝ったことにして引き上げをしたこともあった。警察はもちろん感謝していたが、吉田が黒子に徹しなければならない歯がゆさを美香は感じていた。

 その意味で美香は吉田のやっている引き揚げは危険なボランティアであり、吉田のことをスポットライトを浴びないヒーローだと捉えていた。もちろん美香には吉田がスポットライトを当てられたくてやっているわけではないだろうとわかっていたが、それにしてもやる意味はないのではないかという釈然としない気持ちを抱えていた。

 

 美香には吉田の仕事に対する別の不安もあった。物理的な危険とは別に、日常生活の中で奇妙なことが立て続けに起きていたのだ。それは引き上げの案件が回ってくる前に起きる、奇妙な前兆とも言えるものだった。ある時、家のリビングで夫婦揃って会話をしていると、何もしていないのに台所の花瓶が倒れて割れたことがあった。その花瓶はわりとがっしりと安定したタイプのもので、特に細長くてバランスが悪いというわけでもなかった。窓を閉め切っていて風が吹いたわけでもなく、部屋が揺れたということもなかった。どうして倒れたのだろうと二人で話していると、吉田の携帯電話が鳴り「人が落ちたので引き上げに来てほしい」という話があった。

 吉田はこんなのたまたまだろうと思ったが、美香は「やっぱりそういうことってあるんだ」と気味が悪くなり、その花瓶を撤去し、それからというもの同じように落ちてしまわないようにと、部屋に置いてある物の配置を工夫したりした。

 またこんなこともあった。ある時、次男の部屋のドアの前から廊下までの一帯が水浸しになっていた。原因はわからなかった。誰も水なんかこぼしていないよ、この水の上歩かないといけないのか、という話しをしていたら電話が鳴り、やはり引き上げをしてほしいとのことだった。

 花瓶が倒れたり、廊下が濡れている時点では特段何も感じなかった。だが、その直後に引き上げの電話が鳴ると、やはり何かの符合のようなものがあるのではないかと美香には思えた。あまり気にしないように努めたものの、こうしたことが何度か続き、家に一人でいると気持ちが落ち着かなった。やがて美香はその家に一人でいることを避けるようになった。不可解な現象の理由はわからなかったが、死者を取り扱う吉田の引き上げの仕事と関係があり、それは吉田と吉田の家に対して起こっている、と考えた美香は一人でいるときは家から離れることにしたのだ。

 

 こうしたこともあって吉田の引き上げの仕事にいろいろな意味で不安を募らせていた美香は幾度となく吉田に言った。危険な仕事なのに感謝されるとは限らない。それに通常の潜水業務だけで食べていけるのに、どうして捜索にこだわるのか、と。

 吉田も自分の思いを伝えた。海に落ちた人の家族は困っている。自分で潜って探したいという気持ちがあっても、実際にそれができる人は少ない。だから技術を持っている人が替わりに潜らなければならない。罵られることも多いけど、感謝してくれる人も確実にいる。文句を言う人は言わせておけばいい。それに死んでしまった人は犬や猫ではなく人間なんだ。お金も大切だけれども、できる限りのことをやらなければならない。すると美香も食い下がった。

 「でも、なんであなたが?」

 そうした言い合いのようになることは一度や二度のことではなかった。ただ、とは言いつつも美香もどこかで吉田の性格をわかっていた。目の前で人が困っていたら見て見ぬ振りはしない人なのだなということを日常的に感じていたからだった。

 あるときこんなことがあった。美香が車を運転し、吉田が助手席に乗っていた。すると道路の脇の歩道を年老いたおばあさんが自転車を押しているのが見えた。よく見ると側溝のようなところに車輪をはまらせてしまったようだった。美香はその状況を運転しながら横目で見ていたが、声をかけるほどではないかな、と思った。逆にあまり騒ぎ立てられても相手としても恥ずかしいかな、とさえ思った。だがそれを見た吉田は「止めろ、おばあさんが困ってる」といって車から出て行き、おばあさんに手を貸して戻ってくると、「人が困っていたら助けなきゃだめだ」と、いたって真面目だった。

 捜索にしても同じことなのだろうと美香は思った。川で人がいなくなったときにしても、暗くなると警察の捜索は打ち切りになり、また翌日から捜索を再開することが多かった。だが吉田は色々と考えて、夜中にこの辺りに浮いてくるんじゃないかと思えば、夜中に川に戻ったりしていた。そうした作業は誰も頼んでいないし、お金がもらえるわけでもない。それでもやる人だということを何度も見ていた。美香はそうした吉田の一面に敬意を払っていたし、人として素晴らしいなと思うのは一度や二度のことではなかった。引き上げの仕事は危険で割の合わない損な役回りでしかないと思えたが、吉田の正義感や親切心が支えているのだろうと思っていた。そして最終的には本人がそれで良いのならそれでいいかなと思うようになっていった。

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