無限のざわめきの中へ

 

 

 十月のはじめの東海岸は既に寒く、アパラチア山脈を越えてからというもの、辺りは深い秋の気配に包まれ、街には過ぎ去っていった夏の暑さを惜しむようなさみしさがそこかしこにあった。木々の梢を抜ける冷たい風や、行き交う人々が身にまとう厚手の上着や、街角に秋の訪れを告げるハロウィーンのかぼちゃ。それらが砂漠を走り抜けた灼熱の日々を遠い過去へと押しやり、かさかさと鳴る落ち葉の音だけが乾いた空によく響いた。

 

 あとひと月も経てば明け方には霜が降り、さらにもうひと月すればあたりの雑木林や遠い山々がうっすらと雪をかぶりはじめる。真夏のカリフォルニアにはじまったアメリカ横断も、まるでめぐっていく季節の一部を切り取るように、すでにたくさんの時間を積み重ねていた。

 

 始まりのころの記憶は既にうっすらと色褪せている感じがした。一方で終わりがすぐそばまで近づいていた。どこまでも続いていると思えたアスファルトは、前にもうしろにも永遠に続いているわけではないのだ。ぼくは日々走りながらそんな喪失感のなかを漂っていた。

 

 一方でぼくは旅の終わりを渇望さえしていた。肉体的にはすでにきつくなっていて、体はもうあちこちが痛みだし、朝起きると全身が重いなまりのように固まって動かなかった。

 

 旅を早く終わらせてしまいたいという気持ちもあった。はやる気持ちを体現するように、ぼくはワシントンDCからニューヨークまでの四〇〇キロの行程をたった二日で走りきろうとしていた。これまでは一日一〇〇キロ程度を目安に走っていたのだから、旅の終わりに喪失を感じる一方で、同時にそれを渇望していたとさえ言えた。

 

 モーテルの心地よいベッドに入ってしまえば、もう何日も起き上がれないのではないかというくらい疲れを感じていた。だから、敢えてお金を払ってモーテルには泊まろうとは思わなかった。かといって、夜はもう寒さが厳しくて屋外でテントを張ることはできなかった。

 

 しかたなくぼくは昼間公園などの木陰で仮眠を取り、夕方から空気が冷たくなると走って体を温めるよりほかなかった。ときおり疲れを感じて道端に自転車を止めて休もうと考えたが、一度走るのをやめれば夜の冷気が体を急激に冷やしてしまう。だから何時間か走り続けてガスステーションを見つけると、そこでホットココアを何杯も注文して体を温めながら休むほかなかった。

                                                                                                                                

 ニューヨークへ至る最後の直線のハイウェイに差しかかった。北へと真っ直ぐに延びるハイウェイにはオレンジ色の街頭が等間隔に並んでいて、そのひとつひとつが小さくなりながら、遠い闇の中へ消えていた。ときおり、わきを抜き去る車のテールランプもやはりまた同じ漆黒の中へと吸い込まれ、ほどなくして音もなく見えない地平線の向こうへと消えていった。

 

 やがて無数の小さな光が見え始めた。飛行場の灯りや真夜中のビルの屋上に明滅する紅い光の群れもあった。右手には海とも河ともつかない、漆黒をたたえた水面が見えた。そしてその水面に赤やブルーやオレンジ色の小さな光の粒がひそやかに揺れ動いていた。

 

 ぼくは確かにあの光のどれかに向かって走り続けていたが、いったいそれがどれなのかわかりはしなかった。同じように、それらの光の下で蠢いているだろう無数の人々うち、誰一人としてぼくが今こうして走り続けていることを知るはずもなかった。それでもあの光のどこかに旅の終わりの場所があるのだとぼくは思った。

 

 そして旅の終わりが正確に何を意味するのかについて考えようとした。アメリカ横断。そこで暮らす人々の営み。戦争。そしてこれからの自分自身のことも頭をよぎった。

 終わりを向かえるもの。そこから始まるもの。そしてそのどちらでもなく、今までも、これからもずっと続いていくもの。

 

 それらはハイウェイを走り去る無数の車のように、すべてがぼくの視界の中にありながら、互いが接点を持つことなく別々の轍の上を動いていた。そしてそれらをすべて飲み込んでしまうように新しい朝が始まろうとしていた。

 

         *   *   *

 

 グラウンドゼロを見つめていた。

 ぼくはその朝、観光客に混じって船に自転車を乗せると潮風の微かに香るハドソン河を渡った。良く晴れて雲ひとつない朝だった。船着き場から道を隔ててすぐの場所にあるガラス張りの巨大なビルに何気なく立ち寄ると、更地になったその場所がよく見下ろせた。周囲を囲む高層ビルの隙間にぽっかりとあいた穴のようなその場所にはいくつかの鉄骨が組まれ、そのあいだを、ヘルメットを着けた作業員たちが忙しそうに往来していた。ローラーブレードを履いたニューヨーカーにここがグラウンドゼロかと尋ねたが、そうだと言って足早に過ぎていくのみだった。

 

 かつて目の前のアスファルトの上を無数の残骸や人々の無念が横たわっていたはずだったが、それらの痕跡はどこにもなかった。オクラホマのメモリアルのような死者への供物や花束でさえ見あたらなかった。三千人以上が犠牲になった大きな喪失はどこにもなく、ただ黙々と作業を続ける人々の姿があるだけだった。

 

 ぼくは空っぽの自由の中に佇んでいた。何もないグラウンドゼロを見つめていると、なぜだか自分自身の旅も空っぽであったように思えてきた。ぼくはこの旅の中で戦争について問いかけておきながら、戦争で犠牲になった人々の本当の痛みに触れることはできなかったのかもしれない。そう思うとひどく虚しい気持ちになった。そしてぼくは自分自身が立っているこの場所でかつて起きたはずの9、11の映像のことをぼんやりと思い出していた。あの深夜のアルバイトの休憩室で見た、飛行機が突入し、黒煙を吐くビルが崩壊する映像だった。

 

 今では、あの映像は二つの意味で不条理の極北であったと思うようになっていた。一つは未曾有のテロリズムであったこと、そしてもう一つはその悲劇が映像というかたちで何ら痛みを伴わずに多くの人に配信されてしまったことだった。そして後者の方が現代的な問題を孕んでいるように思えた。

 

 あの映像によって我々は「死は痛みのないものだ」という歪曲した事実をまたひとつ確認してしまったような気がしていた。それとも限りなく情報が氾濫する二十一世紀において、その歪曲は歪曲でなくなってしまうのだろうか。世界から切実なリアリティだけがベロリとはがれ落ちてしまった危うい時代にあって、アメリカ人の「自由を守る」という大義はリアリティのない日常に物語を創出し、一時的にせよ、人々の中に巣食っていた現実感の喪失を癒す役割を果たしたのではないか。

 

 一方で、ぼく自身も現実感のない日常の息苦しさに耐えきれず、日本を飛び出すようにここまで来ていた。そして人々に「戦争はなぜなくならないのか」と問いかけることによって、彼らとの距離を縮めてきた。ある意味でぼくの生のかたちも、あの戦争の上に成り立っていたのかもしれない。

 

 そんなふうに考えると、こんなふうに思えてきた。バラバラだったこの国の人々に再び連帯をもたらしたあの戦争と、戦争への問いかけをすることで人々との繋がりを持つことができたぼく自身の旅は、地下茎でつながった有機体の一部のように、どこか奇妙な一点で結ばれているのではないか。そしてその一点とはつまり、戦争は人間を破滅に追いやるだけでなく、ねじれた形で人間同士を繋ぐ役割をも果たしたり、沈滞した日常に高揚をもたらしたりするのではないか。そしてそれこそが戦争がなくならない本当の理由ではないか、と。

 

  •         *    *    *

 

 いくつかの通りを歩き、すれ違う人波の中を漂っていた。ようやく見つけたカフェに入った後も、ガラス窓の向こうを行き交う人々をぼんやりと眺めていた。終わってしまった旅のことを考えると、心なしか自分の中にぽっかりと穴が開いたように思えた。そしてぼくはその小さな虚しさをどうすれば良いのかわからないでいた。

 

 大きな窓の向こうを、黄色いタクシーや荷物を積んだトラックが走っていき、カフェの店員の若い男が歩道の電話ボックスの落書きを消していた。太陽が少し傾きかけて、淡いオレンジの光が通りを満たしていた。美しい時間だった。

 

 そのとき、なぜかその光景がかけがえのないものに思え、ぼくは通りに出て若い店員に落書きを消すのを手伝いたいと申し出ていた。

 

「いいんです、ぼくの仕事ですから」

 

 はにかむ店員に笑いながら断られてしまったが、不思議と満ち足りた気分になった。ビルの谷間を見上げると青い空がくっきりと見えた。飛行機雲や旋回する鳥たちも見えた。

 

 いや、空だけでなくすべてのものがくっきりと見えた気がした。洗練された都会的なビルのデザインや、裏路地のカラフルなスプレーの落書きや、色づき始めた街路樹の揺れも。

 

 そしてとりわけ人々の表情もくっきりと見えていた。ストリートでサックスを吹き鳴らす男のたっぷりと息を含んだ頬の膨らみ。つかまらないタクシーに苛立つOLの眉間のしわ。あるいは小さな子供を抱きあげる母親の微笑み。すべてが不思議な立体感を持ってぼくの前にあった。通りの向こうにも角を曲がった向こうにも、生きた人々の豊かさが溢れていた。

 

 愚行を繰り返す人間たちの中にあって、その豊かさは残された救いのようでさえあった。ぼくはそんな人々の無限のざわめきの中を、たださまようように歩き続けていた。ずっとずっとそうしていたかった。見えない不条理に包まれた世界で、ぼくはどこへ向かうべきかわからないでいたからだった。 

 

 

 

 

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