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『花は咲く』、偉大な足かせソング

 「『花は咲く』をアレンジして、被災地の方々に聞かせたいのですが」。

 私自身の震災写真展で、来場者の女性からこんな相談を受けた。「花は咲く」はNHKの東日本大震災プロジェクトのテーマソングで、被災地ゆかりの著名人が歌っている。私はこの「復興支援ソング」が被災地に大きく貢献してきたことも知っているが、彼女の相談には少なからず困惑した。被災した現地の人から、この曲を「聴きたくない」という声を聞いていたからだ。

 宮城県名取市で被災した60代の男性は「仮設住宅に入ったばかりで先が見えない頃は(この曲に)違和感はなく、むしろ被災した三県の有名人に見守られていると感じた」。だが震災から一年が過ぎ、職場に復帰した頃から曲調に違和感を覚え始めた。「現実的に先のことを考えなければならないのに、聞く度に震災当時の気持ちに引き戻されてしまう。聞きたくない人は多いのではないか」。

 作詞を担当した岩井俊二氏は、亡くなった人の目線で詞を書いたという。だが、「わたしは何を残しただろう」というフレーズが、生き残った人にとって「心ならずも亡くなっていった人に、自分はいったい何ができたのか」という重い問いかけに響くこともあるだろう。男性は「足かせソングだっちゃ」と冗談まじりに笑う。

 この曲が「最初から好きではなかった」という60代の女性もいた。「耳を塞ぎたくなる。あの曲だけは許せない」という。

 彼女は若い頃に”We Are The World”を聞き、大スターが一堂に会して貧しいアフリカの人々のために歌う姿を素晴らしいと思った。しかし、自分が被災して同じコンセプトの曲を「歌われる側」として聞いたとき、とても上から目線に感じた。と同時に、「嫌だと思っている自分に気がついたことが嫌だった。善意を受け入れらないひねくれた人間なのではないかと思った」。

 震災後に同居した孫がこの「花は咲く」をピアノで弾くと、彼女は複雑な気持ちになるという。だが、「被災したおばあちゃんのために」という孫の気持ちは受け取りたい。彼女はこうした気持ちを誰にも言わないまま過ごしてきた。

 メディアはこのような被災者の感情を伝えてこなかった。特に被災地への「善意」を否定しかねない声は、伝える側も慎重にならざるを得ない。被災地の内と外を辛うじて繋いでいる糸が切れることを恐れるからだ。

 一方でこうしたメディアの姿勢で、現地の人々の声は黙殺され、多少いびつな善意も良しとされ、苦しみながら「善意」に笑顔で応えなければならない被災者の数が増えている。

 3年が過ぎた今、NHKはこの偉大な「足かせソング」の陰に埋もれた声に真摯に向き合うべきだろう。被災地での放送自粛や、曲の差し替えなどを検討したらどうか。暮らしに穏やかさが戻ってきたいまも、仮設住宅のテレビを眺めている人の中に、きらびやかなスターに「歌われる」ことで、「あちら側とこちら側の深い溝」を再び見せつけられている人々がいるのだ。

 矛盾するようだが、これらを書きながら再度「花は咲く」を聞いてみると、自分が被災していないからだろうか、私にはぐっと来てしまう部分もあった。だからこそ、我々は「ぐっときてしまう」自らの感性そのものを疑ってみる必要があるはずだ。


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