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知られざる捜索ボランティア

 震災から3年半が経ついま、被災地内外の温度差は広がり続け、被災地外の人々にとって重要なことが伝わっていないケースもある。そのひとつが行方不明者の民間捜索ボランティア活動だ。

 私が行方不明者の捜索のリアリティに最初に触れたのは2012年の春だった。警察や自衛隊の捜索が打ち切られてから半年、行方不明者の家族の嘆願によって、民間の地元潜水会社が捜索をすることになった。

 そのとき私は被災した若者たちが数メートル先で側溝の泥をすくいあげる姿を取材しながら何度も「手伝ってもいいですか?」と声をかけようと思った。しかし結局できなかった。妹を亡くした二十歳の若者が無言で重機を操っている横顔に、立ち入ることのできない厳しさを感じたのだ。

 それから1年が過ぎた2013年、私は新たに発足した民間の捜索ボランティアに加わることになった。ボランティア保険に加入していれば基本的に誰でも参加できることもあり、男女問わず全国から有志が口コミなどで集まった。捜索の参加に二の足を踏んだ私にとって、それは画期的なできごとであった。

 実際に作業に従事すると、南相馬市の浜辺では1メートル近く掘り返してやっと重油にまみれた畳などが出土した。行方不明者も「震災の地層」の中に埋まっている可能性が示唆された。

 捜索ボランティアの意義は2つある。ひとつには文字通り行方不明者を見つけることだ。震災で甚大な被害に遭った人の中には、恐怖や悲しみから、3年が経った今も海辺に立つことさえ困難な人もいる。そうした人たちに替わって捜索を行なうことで、被災した人の負担をいくばくかでも軽減できるかもしれない。実際警察による捜索が打ち切られた後、民間捜索が始まると聞き、8か月の息子が行方不明の母親が「感謝の言葉しかない」というのを耳にした。

 もうひとつの意義は被災地の外の人々が捜索活動を通して震災のリアリティを掴んでいくことにある。震災から3年のあいだに、私も個人的に知人たちに現地を案内してきたが、いまでは震災のリアルを伝えるものがない。そこで私が考えたのが捜索に参加してもらうことだった。軍手をはめて土を掘り、湿った泥の手触りがする茶碗やマグカップなどが出土したとき、かつてそこにあった暮らしを思いながら人々はなにがしかのリアリティを手にすることになる。東京から訪れた友人はたった一日の作業で「一生忘れない」と言って帰っていった。こうした捜索ボランティアは徐々に浸透し、宮城県内では今年8月11日の月命日に警察と民間ボランティアが合同で捜索を行なったと報じられた。

 ところがこの捜索ボランティア、前述の通り被災地の外ではほとんど知られていない。千葉や福岡などで講演を行った際に来場者に尋ねてみると、震災に興味を持つ参加者でさえほとんど知らない。これはメディアが被災地の内と外で意図的に報道を切り替えているためだろう。

 しかし風化が進む中、メディアはこのような捜索ボランティアの実態やその意義を被災地の外にも伝え、広く関心を促すべきではないか。

 人々が被災地に足を運び自分の肉体を使って震災に関与する過程に、対岸の火事が「私の3.11」に変わる瞬間が含まれているはずなのだ。


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