3年目の災害エフエム
私が初めて南相馬市を訪れたのは行方不明者の捜索ボランティア活動が始まった2013年春のことだった。津波と原発の両方の被害を受けた現地では復興が手つかずで遅れているというのが当時の実感だった。その南相馬でラジオはどんな機能を果たしたのか「南相馬ひばりエフエム」の今野聡チーフに...
『花は咲く』、偉大な足かせソング
「『花は咲く』をアレンジして、被災地の方々に聞かせたいのですが」。 私自身の震災写真展で、来場者の女性からこんな相談を受けた。「花は咲く」はNHKの東日本大震災プロジェクトのテーマソングで、被災地ゆかりの著名人が歌っている。私はこの「復興支援ソング」が被災地に大きく貢献して...
迷いながら寄り添う、寄り添いながら迷う
仙台放送は震災直後の4月から「ともに』を毎月制作し、被災地の人々にスポットを当て、復興の様子を切り取り続けてきた。被災地の放送局としてどんな放送を心がけてきたのか。制作者の折原裕氏(プロデューサー)、西村和史氏(ディレクター)にお話を聞いた。...
現地の実情に合わせた細やかな放送
震災時に地域放送はどのように機能したのだろうか。仙南地域の数少ない事例である「エフエムいわぬま」で当時パーソナリティを勤めた竹内ゆみさんにお話を伺った。 「エフエムいわぬま」は震災前の仙南地域では唯一のコミュニティFMだったこともあり、震災直後近隣市町村の住民からも安否の情...
回覧板のようなコミュニティラジオ
東日本大震災をきっかけに被災地域では臨時災害放送局が次々に設置され、3年が経つ今、そのいくつかはコミュニティエフエムへの切り替えを行ないながら地域に根ざした放送局作りに奮闘している。震災後の地域放送はどうなっていくのか。...
脱力の向こうに見える被災地の日常
いつもと変わらずほのぼのとした安堵感がある。仙台放送が毎月放送している「ともに」を視聴して今回も同じ印象を持った。 番組は冒頭、南三陸町で震災前から作られている受験生の合格祈願の文鎮「オクトパスくん」の制作風景で始まり、いつもと同じオムニバス形式で進む。塩釜の復興商店街を紹...
気仙沼、防潮堤をめぐる激論
気仙沼の防潮堤をめぐる議論は以前から気になっていた。私が取材フィールドとする仙台平野で着々と防潮堤の建設が進むなか、気仙沼の防潮堤建設は地元住民の賛否を超えた問題を提起し続けていたからだ。 国の方針では被災三県で総延長400キロ、1兆円規模の防潮堤を計画している。気仙沼のそ...
日常と地続きの原発
「入り口と出口がねじれている。」それは優れたドキュメンタリーのひとつの証しであり、また作り手にとって現実と格闘した傷跡、あるいは勲章のようなものであるかもしれない。「1F〜福島第一原発を追った900日〜」の視聴後、改めてそう思った。...